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やっぱりおっぱい 〜がんサバイバーの奮闘記〜 第6話

2020年の幕開けです。

1月2日、高校時代の友人3人と会う。体調を気遣ってもらい、外食ではなく一人暮らしをしている友達宅でのんびり宅飲み。友人らはお祝いする予定でいたらしいが、再手術の報告をすると、ちょっと悲しそうな表情をした。
私もいたたまれない気持ちになったけれど、高校から付き合いのある友達なので、元気付けてくれた。

これから会う友達に全摘する再手術を受ける話をしなければいけないと思うと憂鬱。

1月3日、両親と初詣。あまりおみくじは引かないのだけれど、あえて引いてみた。
病気のところに、「医者と神を信じましょう」と書いてあった。ここだけ具体的で、思わず両親と笑ってしまった。

1月4日、ホテルの個室でランチ。本当は夜の食事でもいいと思っていたのだが、この友達の両親が私のことを心配してくれて、昼間会うことになった。会ったことはないんだけれど、私も娘のように考えてくれている。
ランチしてカフェに移動し、結局長時間過ごしたことには変わらない状況。中学からの腐れ縁な友達なので、彼女の存在は本当に励みになる。

1月5日、この日は小・中学校時代の友達と会う。そして、友達が働いているラーメン屋に行き、久しぶりの再会となる人物も。大人になっても、なったからこそ気軽に話ができるような関係というのもある。

病み上がりなのに、実家にいる間は、結構友達に会った。個人的には気分が晴れてストレスはないのだが、以前よりは疲れの回復に時間がかかっている。

1月11日、友達の紹介で、4年前に右胸の全摘手術をした子を紹介してもらった。
実際に胸を触らせてもらったら、とても張りのある胸だった。シリコンを入れると、こんな感じになるのかと勉強になった。普通の人でも左右差はあると思うが、そこは気になるとも言っていた。シリコンの重みでこれからどんどん垂れ下がっていくのは仕方のないこと。
ブラジャーをしている分にはわからないけれど、裸になるとちょっとした違いはある。そこまで周りの人は見ていないかもしれないけれど、本人は気になって仕方がないのだ。

また、乳輪や乳頭を切除した場合の話も聞いた。手術でつけることもできるが、気軽に装着できるタイプもあるようだ。
できれば、乳輪、乳頭は残したいけれど、そこにがんがあったら、取り除かなければならない。

1月14日、子宮筋腫の手術をした友達と会う。周りに乳がんになった友達も多いらしく、いろいろな話を聞くことができた。ある人は、放射線治療をしない方法を、左右差をなくしたいということで、両方全摘したという選択をした人もいるという。目の前には様々な選択肢があるけれど、今の段階では自分が本当にどうしたらよいか考えが定まらない。

1月17日、同業者の友達と会う。心臓病の疑いがあるということで、結果が出るまでの1週間は気が気ではなかったとか。それを私のように記録しているとのこと。
ライターの性なのか。ある意味、自分の起こったことを客観的にメモしておくのは周りにも結構いるみたいだ。

1月20日、最終病理検査を聞くために、クリニックへ。左胸はもう少し部分切除が必要、右胸は全摘で、乳頭・乳輪はメスを入れてみないとわからないとのこと。
再手術は3月にしたい旨を伝える。
本日からホルモン治療開始。タモキシフェンという錠剤を毎日1錠飲むこと、12週間に一度、ニュープリンという注射をするという。

病院に行くとどっと疲れが出る。事実は事実として受け止める準備はできていたつもりだけれど、精神的に参ってしまって、眠れずに泣いた。

1月21日、突然セカンドオピニオンを受けるという選択頭をよぎり、友達にメールしてみる。12月の手術の時はあまり調べもせず、流されるままに手術を受けたので、今回はちゃんと知識を入れて、臨みたいと思ったからだ。
人によって、おっぱいに対する想いは全く違う。様々な友達の意見を聞きながら、自分の考えをまとめていく。

1月22日、15年前に母が乳がんの手術をした病院でセカンドオピニオンを受けることを決めた。母が担当の先生に連絡をしてくれて、2月4日に予約を取った。
セカンドオピニオンは私が納得して手術を受けたいからだ。ある意味、精神的に安心したいという気持ちが強いのかもしれない。

1月27日、クリニックで先生にセカンドオピニオンを受けることを伝えた。先生によっては嫌な顔をする人もいるようだが、「いってらっしゃい」とデータを渡してくれた。
私は先生の感情が全く読めなかった。

1月28日、形成外科の受診を受けるも、冊子を渡されて、乳房再建について読んで、次回わからないことなどを質問してくださいと言われる。
本来、今日聞きたいところなのに、わざわざ時間を割いてきた意味がわからない。
時々、病院のシステムに疑問を感じることがある。

体調は万全ではないものの、友達と会ったり、ネットで調べたり、今自分ができる最大限の選択肢を考えた1ヶ月だった。


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