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やっぱりおっぱい 〜がんサバイバーの奮闘記〜 第2話

悶々とした気持ちで1ヶ月を過ごした。
10月21日、予約した乳腺外科クリニックへ。人気の病院なのか、待合室は満席だった。中国人も通訳をつけて来院していた。

入念なエコー検査の結果、右胸に1つ、左胸に2つのしこりを再確認。
局所麻酔を行い、針生検を行います。針生検は太い針を病変部に刺し、その中に組織の一部を入れて、体の外に取り出すもの。超音波検査で、採取部位を確認しながら行われる。
右胸はスムーズにできたのですが、左胸がうまくできず、実は4回ほど注射。
先生は、「痛みにつよいね。泣かないね」と励ましてくれた。

傷口が開かないように、しっかりと包帯でグルグル巻きに。
先生の定番フレーズなのか、「さらしを巻いた女優さんが博打する姿みたいで格好いい」って冗談まじりで言っていたのが印象的でした。

翌日、私は皮膚が弱いせいか、包帯を止めているテープでかぶれてしまい、痒みが増してきた。後々、この痒みに大いに悩まされることなるとは・・・。

翌々日は、傷口のチェックのために再来院。特に異常は見られなかった。

10月28日、10年前に乳がんを患った母が、検査のために上京。母はステージ0の極々小さな癌で内視鏡で手術を希望していたのだが、田舎には手術経験豊富な医師がいないので、東京で手術を行った。
経験者だからこそ、一言一言が胸に刺さり、私は不安な気持ちでいっぱいになった。

検査結果が出る前日はドキドキしてあまり眠れなかった。結果が良性であると言う夢をみたが、起きて現実じゃないことにがっかり。なんでこういう夢を見たのだろう。

11月1日、検査結果の結果、右胸は悪性。ステージ1の浸潤性入管癌が認められる。
左胸は、疑われるが判断がつかないということで、別の研究所にセカンドオピニオンを出すことになった。
疑いがあるということは、左胸もきっと癌だろう。両胸に癌って聞いたことないし。

「あぁ、やっぱり」私は9割がた癌だろうと予測していたにもかかわらず、意外とダメージが大きくて、先生の言葉が何回聞いても耳に入ってこなかった。

その夜、両親に電話をした。
「独身で、この歳で癌になって申し訳ない」と涙ながらに母親に行ったが、「そんなこと思わなくてよい。私もお父さんもあなたのためにできることはなんでもする」と泣きながら言われた。

11月6日、PET-CT検査を行けるために、紹介された病院へ。正直、PET-CT検査って何をするのかわからなかった。調べる気力もなく、先生から受けてくださいと言われたから受けたのだ。ホテルみたいな病院だった。

PET-CT検査とは、放射性薬物を体内に投与して、全身を特殊なカメラで捉えて画像化するもの。普通のCT検査などでは形の異常を見るのに対し、PET-CT検査では、ブドウ糖代謝などの機能から異常を見るものである。

前日から食事や飲み物の制限。糖分を過剰に摂取、消費しないようにした。要は、果物やお菓子類を食べてはいけないということ。
当日は5時間前から絶食。糖分が入っていない水かお茶のみが許された。

まずは、血糖値の測定。問題なし。そこから検査薬剤を注入し、薬が行き渡るのに1時間ほど休む。おペットボトルの水を渡される。スマホも本もなく、ただ時間が経つのをひたすら待つだけ。これほど苦しいものはない。
そこから20分ほどCT検査。また、30分ほど休み、もう一度念のために10分ほど検査を行った。

11月8日、保険会社の担当者さんと会う。この時ほどがん保険、女性特有の疾病の特約に入っていたことに感謝した。検査だけでもお金がかかるので、がんと診断されたときの給付金は生活する上でものすごくありがたかった。

11月16日、親に上京してもらい、一緒に乳腺外科のクリニックへ。PET-CT検査、右胸に異常を認める、左胸に軽度ながら異常を認める、他の臓器とリンパ節には転移は見られないとのことだった。

両親はリンパ節転移があるかないかを気にしていた。後々調べてわかったことだが、リンパ節に転移があると全身に広がることがあるのだ。
ただ、前回、左胸のセカンドオピニオンを求めたのだが、特定ならずということで、再検査を行った。

親が一緒だったので、比較的安心して先生の話を聞くことができた。
東京駅で千疋屋のフルーツババロアを食べ、最終の新幹線で帰る親を見送った

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