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転職の振り返り #1

 ネット上の書き物として、それなりに長い文章を書くという意味では、mixiの日記ぶりになる。これといって他でブログをやっていたこともないし、FacebookをはじめとするSNSでは、ひとことコメントを書く程度だ。こうして自分の言葉で文章を書くというのは、ものすごく久しぶりだ。どんな文体で、どんなテンションで、どんなテイストで書いていたか、思い出すのは難しいし、気の利いたことなど書けないが、たまには書いてみるのも良いだろうと思いキーを叩くことにした。mixi全盛当時はよくもまぁ、書きたいことがつらつらと出てきたものだなと、今振り返れば思う。

 さて、今日ここに書き留めておきたいことは、自分自身の転職についてである。退職エントリまではいかないが、転職して半年以上経つので、ひとつ振り返りとしてノートを書いてみる。何か言いたいことや想いがあって書くわけでは無い。頭の中にあるものを、ただ書き出す作業レベルであり、「そういうことあるよねー」程度の内容だと思う。

 震災の余震のさなか、大学院を卒業した私は、日系のシステムインテグレータ企業に就職した。いわゆるシステムエンジニアになった。IT系の学部出身というわけではないが、学生時代PCはよく触っていたし、プログラミングやMicrosoftOffice製品にはそれなりに通じていたこともあり、仕事自体は楽しかった。
 配属は、とある銀行の勘定系システムの業務アプリケーション構築の部署だった。ミッションクリティカルなシステム開発に携わっていることに対する誇りを持つこともできたし、我ながら、当時は生意気だったと思うが、積極的に意見を発信していくことで、それなりに目立つことができたし、周りからの評価という意味でも、十分といえる環境だった。それからも、海外案件にも関わることができたり、長期的な地方出張、海外出張、さまざまな体験をさせてもらうことができた。

 それなりに仕事はうまく行っていたが、転職を強く意識し始めたのは2019年になってからだ。それまでは「自分は今の仕事を辞めてまで、他の会社やりたことなど無い」と思っていた。今考えれば、それはただの思考停止状態だったのではないかと思う。ただし、それに気がつくことができるのは、なかなかに難しいことなのだとも思う。
 当時のメインタスクは、システムの維持管理だった。ただ漠然と、心のどこかで「システムを保守し続けていくこと」に対して興味を失っていた。予算として確保された工数を消費するためだけの過剰な作業、重箱の隅をつつくような細かいドキュメント改善、華ある開発部隊との評価格差、そうしたことの積み重ねが、転職を意識する、最初のきっかけだったのだと思う。
 配属当初は、社会を支える重要なインフラを作ることで社会、お客様、そしてその先のエンドユーザに対して貢献するということに、仕事のやりがいを感じていたが、それがいつしか、自分は何のために働いているのかということを見失ってしまった。

 入社当時にお世話になった人事課長が2014年に退職した。その時にその課長が言っていたことが、5年越しに理解できるようになった。一言一句覚えているわけでは無いが、言っていた内容はこうだ。「俺はiPhoneのような利益をえられるような、価値あるものを作りたい。俺たちの仕事、人月商売というのは、働いた時間でお金をもらう。そこにある価値とは何だろうか。利益としてえられた差とは何なのか。どんなに価値のあるものを作ったとしても、対価として支払われるのは、働いた時間に対してのみだから、俺はその仕組みから抜け出す」。ぼんやりと、この言葉を思い出しながら、改元を迎えるGWを過ごしていた。
 システムの維持管理要員を確保するために、その頭数で見積もられた工数。大した作業が無い中で、その工数を無理矢理消化するために捻り出された些末なタスクの数々。逆に、本当に画期的で、便利なものを思い付いたとしても、それは確保している作業内容(予算)に合わないため、実現できないというもどかしさ。安定はしているが、刺激はない。食いっぱぐれることはないが、満腹にはなれない。まるで飼い殺しされている気分にすらなった。あの時課長が言っていたことはこういうことだったのかと合点がいったし、こうした状況が、徐々に私のモチベーションと、組織への帰属意識を削いで行くことになる。

 とはいえ、冒頭にも書いたが、ここまでやる気を失っていても、「辞めてまでやりたいことがない」という意識から、実際に転職活動として何らかのアクションを起こすことは、それからしばらくなかったわけだが、きっかけというのは突然に訪れる。それは続きは次のノートに書くことにする。


 

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