子どものタイプに合わせた教育の大切さ(自分の投影じゃなくてさ)
子どもにはいろんなタイプがいること、意外と見過ごされがちなんじゃないかな?学校や教育の話になると、みんな「正しい」方法を探そうとするけど、それぞれの子どもが持つ個性や特性にもっと目を向けることが大事だと思うんだ。
特に、自分で「これやりたい!」って思ったときに一気に集中して動ける子どもたち。こういう子は、自分のペースでやることが最も成果を出すし、楽しいんだよね。例えば、勉強だって「今はやりたくないな」と思うときには、なかなか集中できないけど、急に「これが知りたい!」ってスイッチが入ると、驚くほどの集中力で学んだりする。それに、こういうタイプの子どもたちは、自分の選択に対して責任を感じやすい。失敗しても「次はこうしよう」とか、「こうすればもっと上手くいくんじゃないか」と自分で学びを深めるんだ。
ただ、こういうタイプの子は少数派だから、学校のテストや標準的な評価基準ではその良さが見えにくいことがある。結果的に、「なんだか成績が振るわない」と思われがちだけど、それは彼らの能力を正しく評価できていないだけで、実際は自分のタイミングで大きく成長する力を持っているんだよね。
逆に、決まったことをコツコツやるのが得意な子どもたちもいるよね。このタイプの子は、きちんとしたカリキュラムやスケジュールに沿って、規則正しく進めることで安心感を得るし、その中で自分をしっかり成長させられる。学校や塾で、予め決められた道筋に従って学ぶことが、この子たちにとっては居心地が良いし、結果的に大きな成果を出すんだ。日本では、こういうタイプの子どもたちが多くて、彼らはテストや試験でもしっかり結果を残すことができるから、いわゆる「優等生」になりやすい。学校のシステムも、このタイプの子どもたちには適しているから、自然と評価が高くなるんだよね。
でも、ここで重要なのは、どっちが正しいとか、どっちが優れているかを議論することじゃない。それぞれの子どもに合った学び方や成長の方法が違うという事実を認めることが大切なんだよね。大人たちが自分の価値観や経験を基準にして、すべての子どもを同じ枠にはめようとすると、結果的にその子の持っている本当の力を見逃してしまうことがある。
特に、「アリさんチーム」と呼ばれる、規則的で安全な道を選ぶタイプの子どもたちを支持する大人たちは、無意識のうちに「キリギリスさんチーム」(自由で主体的なタイプの子どもたち)を抑え込もうとしてしまうことがある。それは悪意からではなく、安心感を優先するあまり、異なるやり方や考え方を理解しづらいからだと思うんだ。でも、これからの社会には、この「キリギリスさんチーム」のように、自分の個性を活かし、主体的に行動できる人材が必要になってくる。だからこそ、違うタイプの子どもたちを否定するのではなく、その違いを受け入れて、それぞれに合った環境を提供することが大切なんじゃないかな?
そして、もっと気をつけたいのは、自分とは違うタイプの子どもたちを「できない」とか「不安定」とか、ネガティブに捉えてしまうこと。例えば、「自分にはできなかったことをして輝いている子ども」に対して、無意識に批判的な態度を取ってしまう大人がいるかもしれない。でも、それはその子の可能性を奪ってしまうことになる。
大人として本当に大事なのは、自分の過去の成功や失敗に囚われることではなく、目の前にいる子どもの未来を考えることだよね。その子がどんなタイプかを理解し、その子に合ったサポートをしてあげることが、何より大切だと思うんだ。
ちなみに僕は、そうした「キリギリスさんチーム」を応援したくて、彼らの個性や興味を活かして学べる場、「ゲームで学び遊ぶシン・スクール」を作ったんだ。ゲームが好きな子どもたちは、自分のペースで学びたいことを探し出し、興味を持った分野に対して驚くほどの集中力を発揮する。僕は、そういう子どもたちと一緒に、彼らの進路や未来を考えるのが本当に楽しいんだ。
これからの日本には、こういった個性豊かで主体性のある子どもたちが大いに活躍できる社会が必要だと思っている。だから、どんなタイプの子どもでも、その子に合った環境を用意してあげることが、僕たち大人の役割だと思うんだよね。