勉強大好き人間
「いつまでも遊んでいないで、勉強しなさい」
学生時代、親によく言われ、怒られた。私は勉強が好きではなかった。多分、私以外の多くの方もそうではないだろうか。しかし、そんな私の勉強嫌いの価値観が10年ほど前から変わってきている。
なんと、勉強が好きになってしまったのだ。今では勉強をしない日があると気持ち悪いと思えるほどに。はたから見ると変人である。
私の勉強に対する価値観は、どうしてこうなってしまったのだろうか。
前に勤めていた会社で、入社してから数年は、"取引会社の方"や"建設現場の職人さん"から「こんなことも分からないのか」とか「(資格を)持ってないの?」とか、よく馬鹿にされた。当時は落ち込むだけだった。
昔から頭の回転が早いほうではないし、体力がある方でもない…。自分はダメ人間なんだと認めていた。この状況から抜け出したいと思う反面、自分には無理だと思い込んで諦めていた。
そして時は経ち、今から10年ほど前、"取引会社の方"に馬鹿にされた私。
その時の感情は、落ち込みではなく怒りだった。
私は思った。「馬鹿にした人を絶対に見返してやる」と。
でも、具体的にどうするのか分からず、悩んでいた。悩んだ末に出した答えは「私を馬鹿にした人が持っていない資格を取得する」だ。
私の職業は、電気設備の技術者である。電気設備には多くの国家資格が存在する。その中でも難易度が高いとされ、私を馬鹿にした人が持っていない資格。それは、第三種電気主任技術者という資格だ。試験は年に1回のみ実施される。
電気設備の仕事に就いてから、毎年受験しては「不合格」となっていた。その受験回数は恥ずかしながら9回…。でも、今までとは試験に対するモチベーションが違う。仕事で帰りが遅くなっても、休みがなくても「怒り」が私を試験勉強に向かわせる。
そして、2年後の11回目の受験でやっと合格することができた。「継続すること」と「あきらめないこと」で目標を達成できることがある。
頭の中であの歌が流れた。
「1万回だめでヘトヘトになっても、1万1回目は何か変わるかもしれない」
うん、その通り。
第三種電気主任技術者の資格を取得後、次の目標を決めた。それは、技術士という資格を取得することだ。技術士は、技術系国家資格の最高峰と言われている。前に勤めていた会社では、最も取得を推進している資格であり、合格者は社長表彰され、祝い金が〇〇万円もらえる。
この資格を取得すれば、社内外問わず認められるかもしれない。自分に自信を持てるかもしれない。そう思い、受験を決意した。
ちなみに、技術士は科学技術の全領域をカバーしており、全21の技術部門が設けられている。
私の技術部門は電気設備なので、「技術士(電気電子部門)」を受験した。
社会人になると、学生時代と違い、勉強時間を確保することが難しい。しかも、当時の私の仕事は残業が多く、休みもほとんどない。
ではどうするか。睡眠時間を削るしかなかった。毎日眠かったが、必死に勉強した。この時期の試験に対するモチベーションは「怒り」ではなくなっていた。先輩技術士の、技術力の高さに対する憧れであった。自分もそうなりたいと思うようになっていた。
また、冒頭でも述べたが、勉強を数年間継続していると、勉強しない日があるとすごく気持ちが悪い。そして、なにより勉強が楽しくなってきた。
「馬鹿にした人を絶対に見返してやる」などという思いは、どうでもよくなっていた。不思議である。
日々の勉強に加え、先輩技術士の指導も受け、私は「技術士(電気電子部門)」に合格することができた。
私自身が嬉しかったのはもちろんだが、家族や社内の方々が私の合格を喜んでくれたのが何より嬉しかった。社長表彰を受け、達成感を得た。自信も少し持てるようになった。
でも、間違ってはいけないのが、単に資格を取るだけでは意味がないということ。資格を仕事に活かし、成果を出すことが大切である。
二十世紀最高の物理学者と評された偉人、アインシュタインはこう言った。
学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思い知らされる。
自分の無知に気づけば気づくほど、よりいっそう学びたくなる。
天才のこの言葉に、凡人の私は共感した。勉強すればするほど自分の無知っぷりに自己嫌悪になった。もっともっと学びたいという気持ちがわいた。そして、昨日まで知らなかったことを今日知ることができる喜びを知った。
勉強が好きになってしまった変人。
そんな私が休日に勉強をしていると、妻はこう言う。
「休みの日なんだから、勉強していないで子供と遊んでよ!」
勉強に対する価値観が変わっても、怒られることは学生時代と変わらないようである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?