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2018年04月04日 13:58 私は春が嫌いなんだよなど10こ

私は春が嫌いなんだよ

きのうはNightmare To Rememberを無性に訊きたくなってCDを再生した途端に渋滞に嵌った。
いつもは入らない道を走ったためであるが、Nightmare To Rememberを聴きながらS交差点までのこの渋滞を過ごすのは最高に楽しかった。
なぜなら春の時節の現象世界は全くNightmareであり、これに浸ることをかの曲は満喫させてくれるからだ。春の幻想のベールを剥ぐと世界はあの生々しい現象であり――現象自身だけが気付いておらず誇らしげな顔をしている――、空気は終始安い肉が燻されたように生臭く動物的だった。まったく現象が全面でピチピチ跳ねていた。
もちろん人間に限らぬ自我の裸の露出。自我がひしめき、おれを現れさせろと、有限な物質を奪い合っている大戦争の地獄。分子さえも隣の分子と押し合って自身の場所を確保せんと必死の形相をしていた。

曲が終わる最後のフィルと同時に渋滞が解消された。西の空には不出来な成長をした腐ったプラムのような色の月があつかましくも浮かんでいたが、それで気付かれないとでも本人は思っているところが現象の厚かましさである。本当に春であった。現象であった。
この文は、もともと三倍くらい醜い印象を与えるものだったが、詩的な程度にとどめないと自分が呪いを受けかねないので、これでも、まろやかな表現に直した。まったく、春が最も現象が分かり易く露呈すること、そして春へのつぶさな観察においてはそこらじゅうが自我のひしめきであること、さらに春の季節を人間が最も喜んで迎えることなどは、疑いなku現象の世界が地獄であることwo率直に示していよう。。.


満を持して響の夢を見た!!!

 わたしはそれなりに自由に夢を観ることができるが、本日、満を持して我那覇響の夢を観た。(今迄はアイマス関係では貴音と真美と春香の夢を観たことがある。)
 二つ言えるのだが、
 その内容はここに描くのは勿体ないという事と、
 地球上のいかなる個人レベルの期待も軽く越えていく出来の夢であった事である。


忌憚の無さに胸がすく

ショーペンハウアーが六十歳の時に書いた二十六歳の時に書いた論文への序文でまでヘーゲルを罵倒してる忌憚のなさほんと草


アイマス#19を見直した。(通算三度目)

すでに書いた内容は繰り返さないが、改めて、話の終わりに向けて収斂していく構成美は圧巻だ。貴音はこの構成美の具現とさえ言える。
美希と貴音と響の天才を擁しながら、クリスマス後にアニマスの流れがあの汚濁と化したのは全く非論理的だと再認識する。もっとも天才と凡人は非論理的なものだ。前者は才能の存在が世界の中で非論理的であり、後者は自我が自我の中で非論理的なのである。そしてクリスマス後は凡人の春香が吹き荒れるとなれば、あの濁流も尤もなことである……。
とにかく貴音は素晴らしい。

皆の声に親しみすぎており(ただし二人目は観えない)、これらの名前が並ぶだけで、「あ、はい、文句ないです……」となる全面性は屈指だわ。


哲学者

 たとえば、「君達は現象界でしか生きてはいけないよ。それが人間の限界なんだから。」←こう言って自分は現象界の外から観照する歓びを享受する哲学者特有の機能。
 哲学の書物には括弧内のみが収められる。だから哲学の書物を真に読む事には、読むことと併せて自分で哲学することが必ず含まれる。


夜にS駅に旅行

昨日はS駅に旅行に行った。
U…というラーメン屋は、よい空気だったが、食券機の前まで行って、喰わなかった。夜をつつましく纏う特有の空気があり、味わい深い。
S駅マジ長い。長すぎ。超明るい。マジ宇宙ステーション。
陽の気で満ちている、ラーめん屋の看板しか出ていないしゃぶしゃぶ屋に入った。しゃぶしゃぶは意図の外だったので、縁があれば訪れることにする。肉を扱わなければ最高の空気の店だと思った。
ここは古い街ならではの見所が多そうですね。街の観光には昼、駅の観光(特殊な奴しかこなさそう)には夜に訪れるのがよいでしょう。と思いました。


パソコン交代

ドキュメント編集ソフトを使う必要に迫られ、ソフトが入っていない重重アスースさんから、5年くらい前に買っていたゲートウェイさんにPCを変えました。アスースさんはメールソフトさえできないほどの重さなのだが、5年前のゲートウェイさんも今の時代の通信容量に引きずられる。720pの動画などでも止まるスペックしかない。しかしアスースさんは380pでしか見れないからな! レベルが違うぜ! 恒例の単語登録を気長にやるぞ(^_-)-☆(←もともと登録してある)
ともかくアスースさんは長い間乙。これからはノートとして持ち歩きます。



美希「デスノート」を読んだ直後の感想(ネタバレあり)

http://ssmatomesokuho.com/thread/read?id=287000
美希「デスノート」


ミキ
「デスノートは面白いの。そこはまちがいなく、いいトコなの。
 一方、デスノートの面白さって、推理とサスペンスに隠れた『ただの喰い合い』なんだって思うな。つまり、結局ミキは人を殺しちゃってる以上、少年マンガでは『ゲスな悪役』以外になれないし、今の政治家や実業家の中のワルイ人達と同じゲスニンゲンで、正義か悪か上か下か白か黒かの檻に閉じられた洗脳家畜でしかなくて、それはもちろんLだって(IQだけ高くても)そうで、読者のみんなは、ゲスとゲスの喰い合いを見せられて喜んでいるんだよ。それに気付かないヒトもゲスだって思うな。
 檻から出た、洗脳に気づいたプロデューサーなら、ミキをデスノートSSに出したり、デスノートSSを書いたりしないって思うし、すごくミキにとって失礼だって思うな。でも、二分法の檻から出られてるハニーって多くないから、仕方ないって思うの。
 ただ、アイドルのキラキラしたお仕事とは反対の、喰い合いのサバイバルに、自分では知らずに一生費やすなんて、本当にかわいそうなの。
 子供にとってキラキラしているべき漫画でさえ、キラキラを装ったドロドロの喰い合いマンガばかりなんだから、学校でも家でも仲間内でも二分法の喰い合いに洗脳されてしまって、子供ってかわいそうなの。
 絵や構成の巧さ、リズムのいい展開、一見スマートな知性を装ったバトルにゲンワクされちゃって、『リアル』な内容には、なかなか気付かないとしたらね。
『リアル』って、つまり、家を出たらシャカイのどこにでもあるコトが、【漫画にもある】ってだけのコトだよ? 
 これが少年ジャンプの全体像だってミキは思うな。
 でも一つだけ、デスノートSSにも芸術的なところがあって、それはね、ゲスに描かれたミキの『生きざま』なんだよ。
 失敗しちゃったニンゲンやイキカタだって、純粋な観賞物になれば、すごく美しいって思うの。それってアイドル活動と同じで、『演じる』ってこと、『演舞する』ことなんだよ。
 だから、将来芸術家になるみたいな子供はゲスなマンガや作品にちょっとだけ秘められた美しさに、反応するんだと思うな。勝つか負けるか、に収束(終息)させられてる他の子供達とは、観ているトコロが違うのかもしれないね。
 じゃあ、ぶざまなミキの、ゲスな生きざまを、ちゃんと最期まで観てね、なの~!」


アイマスが言う

アイマス『アイマスが魅力的という事より、あなたがどのようにアイマスを魅力的にするのかを、わたしに聴かせなさい。』


もしかして初、アイマス掛け合い

美希「ドラクエで素晴らしいのは遊んで寝てキラキラしているだけでお金が溜まって世界からも感謝されることなの。ミキは遊び人になってパーティーに寄生して生きるの」
響「自分はスーパースターだゾ! 踊ると皆が回復するんだ。自分完璧だからな!」
美希「スーパースターを目指してる響はまだまだスーパースターじゃないの」
響「うっ、美希はたまに鋭いこと言うな……。でも自分は他の職業だって何だってできるからな? でも今回は勇者は春香に譲るさー。やりたがってたもんな!」
真「へへー、ボクは武道家やりますよ! 強敵だってひと捻りぃ!」
貴音「わたくしは精霊ですので、響が召喚魔法を唱えていただけば、いずこにも現れます」
伊織「ちょっと春香! 何であたしが酒場で待機なのよ! 連れて行きなさいよねっ!?」
ハルカッス「さてと、4人で冒険ですよ! 冒険!!」

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