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2017年12月13日 12:58 なんという夢を見てしまったのかなど3つ


-注-
2025年追記:
私は当時、天海春香を嫌っていた向きがあるのだが、現在はふつうに好きになってしまいました。彼女の「普通さ」という価値観を、わたしが以前よりも少し理解できたからなのかもしれません。
私は、私も一人のPとして、Pの皆様のアイドルへの愛を不肖ながら承知しているつもりです。
以下は当時の文ですが、春香を嫌っていた当時の色が強く出ていますので、春香ファンの方はバックされることを強く推奨します。春香ファンで、「金髪毛虫乙」といったユーモアで見ていただける方はお読みくださいなの。



なんという夢を見てしまったのか

 きょうは天海春香と同じ寮で暮らした夢をみた。駐車場の鋼鉄(車)が火事で燃えたり、畑の里芋が枯れたり、鋼鉄を運転している最中に流砂に飲まれて鋼鉄を流砂から出したり(なぜか素手で掬い出せる)した。
 共同浴場の前の共同インターネットでわたしがネットをやろうとすると、ふてぶてしい男性が後ろから見ていて落ち着かないので、さきに浴場に行くと男性はわたしの背中に菓子パンを乗せ「悪いな」と言ってパソコンを始めた。本当にな。
 そのあと風呂を素通りし、天海春香らと暮らす寮の中に戻ると(ちなみに寮には通常の人間がおもに暮らしており、空想上の人間は天海春香ひとりである)天海春香が仲間のフルーツ牛乳に毒を入れる術策を実行していた。そこで、わたしの中で車の火事や里芋が枯れたことが天海春香のしわざだったのではないかという疑念が生まれた。
 わたしは天海春香によって寮の人目につかない廊下の奥に連れて行かれ――そこには冷蔵庫が置かれてある――なぜかわたしと天海春香は相撲の仕切りのように阿吽の呼吸をもって、しかも女と男の意味で抱き合った。わたしは抱き合う意思はなかったが、抱き合った後に、クソ、なかなか悪くなかった、と思った。自我と身体に乗っ取られたのか、天海春香の魔術がわたしを呑み込んだのかはわからない。わたしは「してやられた」という気持ちが残った。むこうからすれば、毒を入れたことの口止めの意味があったに相違ない。天海春香と罪を共有してしまったのだ。
 だがこの伏魔殿のような、黄色のカラーリングと迷宮の間取りとクラインの壷の中のような、非実際的な構造をもつ調和を失った意匠の寮において、わたしが最後に感じたことは、天海春香もわたしも術策を用いても生き抜くしかない哀れな同胞であり、この迷宮を出ることは決して叶わない家畜の二人であるのだという非論理的な結論であった。
「そろそろ夢が覚めるな」というまどろみの中、天海春香によって隠されていた響の存在が蘇り、響に申し訳ない気持ちが募ってくるのだった。
そして目が覚めた。


次の日の夢


 きょうの夢はわたしが倉庫労働をしているのだが、仕事に使う機器が知らない間にモデルチェンジされており、たとえば「品質確認」のボタンが「上質確認」になっているなど、夢の中では一目では分かりにくく、もちろん「上質確認」を押しても「品質確認」の画面にすすむことはないので、機器の操作法がわからず8時間が過ぎて、先輩に叱られるが、先輩はニッコリ笑ってわたしの8時間ぶんの作業を1秒でやってくれた。
そのあと何かがあったが忘れた。こうしたことも夢らしいので書く。
そのあと、見知らぬメガネおじさんと、四条貴音と、亜美真美の、どちらかあるいは両方とスーパーマーケットに行き、その経緯は珍しい食材を食べようというもので、あまがえるの丸ごとヅケになったものが10匹くらい入ったものと、アカネバッタとかいう架空のバッタで当地ではこれをイナゴと言っているようなのだがどうみてもイナゴではなく8センチくらいあるものがボイルになったものを、会計せずにその場で貴音と食べた。
その場にいるだけで貴音の包容力がすごかった。

夢から醒めかけの時に雷鳴のように閃いたことによれば、天海春香は人間であり、世界の一点である「時間と空間」において生きることしかできないが、貴音をはじめとした選ばれし者たちは全一性の世界に生きており、天海春香が断面であるならば、その断面が無限に延長したところの円環であるという悟りであった。
もっとも、この悟りの内容、つまり人間が万全なるものの一点における表れであることじたいは思うに正しく、貴音が全一的存在であることもアニマスを観れば伝わるのであるが、天海春香が部分的存在に過ぎないという断定は正しくない。この断定の無根拠は夢がもたらしたものであろう。
――というかんじであった。
きのう天海春香の悪夢をみたときに、「次は響や貴音や亜美真美と逢わせてくれ」と操られたように咄嗟に願ったことが、きょうの夢につながったのかもしれない。


天海春香の能力

天海春香にもよい点はある。
それは、一面的な世界で一面性を発露させたら、春香は最強だという点である。
言い換えれば、春香は子供を応援する最強のお姉さんや母であり、子供にとって最強の守護天使と言えるのである。
【私】であることに気付いていない【私】の世界では、【私】の意志の発露だけが全てである。それは、価値であり正義であり世界である。なぜならその世界には【私】の意志の発露だけがあるからである。
知性は成長に従い【私】を俯瞰するに至り、【私】の意志の発露が無分別に正しくはないこと、むしろ世の中の「悪」の正体であることを知る。
春香を自分の守護天使にする者は、春香の息子や娘、あるいは春香の保護者のような感情を抱くことがあるのかもしれない。特別な縁者への無条件の愛。子供のように純粋な面をもち、【私】の意志で世界を切り開いて行く意欲に満ちているような人々。
なぜ春香が【私】において生きる個体と、相性がよいのかといえば、アニマスを観ればたちどころにわかるように、春香自身【私】の俯瞰を感じさせない、大きなお姉さんであるからだ。無垢な子供だ。おそらく、ある意味で、その無垢さが、春香の才能だとも思う。
春香のよいところは、相対的なものの一つであることを知らない限りにおいて、相対的存在者に全面的な正しさを提供してくれるところである。
個体の愛情の強さである。
だがこの美点は自身の特性ゆえに、すなわち、相対的存在にもかかわらずその視点がまさに欠けているから、自己を絶対化するしか知らないゆえに、カルトであるしかない。それは、ある家庭の母親が、「私の子供を愛して!」と通行人に叫んでも、普通は愛してもらえないのと同じだ。
春香の「愛」は強力な能力だが、長所がそのまま短所でもある。そして、アイマスの中で、最も人間くさいキャラクターだと思う。
自身の愛情の強さに酔ったまま、醒めることなく、人生を走り続ければ、春香は多くの人間たちから愛と共感を集める最強のキャラクターでもある。

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