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2020年03月23日 10:22 沼倉愛美のライブに行った!! など3つ



「どよ」と鳴く猫の夢

夢の記録です。


みんなで泊まっている部屋をチェックアウトする時に、自分が最後になり、すると部屋が宇宙の底のように暗くなった。その後、
「どよ」と鳴く灰色の猫(にしか見えないのだが、その世界ではカワウソ寄りの別種の動物)が売られている夢をみた。
ちなみにこの「どよ」と鳴く灰色の猫は、全匹、当たり前のように立って、こちらを見ている。眼球は人間の成分が40%くらい含まれている。そういう種の猫なのだろう。
そいつが笑っていることが、表情でなく、テレパシーでわかるのだが、そのテレパシーを通じて「ほんとは買ってほしいから笑ってるだけでお前らも買われないと殺処分されるから必死なんだろ?」と訊くと、図星のあまり絶句しブチギレてる深刻っぷりを、テレパシーで披露してきた。全く、自然界の掟は冷厳だゼ。だが、当たり前だから、まあちょっと一句くらい詠むけどな。

この場所は、保養施設の一角で、
自分は男女の集団で泊まっており、宿泊フロアの隣が、飲食や、どよ猫などペットの売っている区画、になっていた。

この宿泊フロアにおいて、
自分は、この世のものとも思えない美人な積極的な女子と、
同じレベルの美人なそっけない女子の、
集団の、というより、宇宙の二大トップ美人からモテまくった。
この二人が宇宙の二大トップ美人だと解るから仕方がない。夢だから。

自分は、二人は罪はないが幻影だと見破り、
自分は沼倉さんと付き合っているから、やっぱ沼倉さんだわと思った。この世界では自分は沼倉さんと付き合っていることになっているのだと知った瞬間に納得するという、例の(夢の)法則。
もちろん、沼倉さんの名誉のために強調して言うが、現実世界では、沼倉さんは自分のことを知っているわけもない。知っていたら、嬉しいどころか、現実でそんな事が起きるなんて、自分は逆に悪夢以上のホラーを感じるだろう。

その後、現象界のU君とは似ても似つかないがU君だとわかったU君(容貌は別人だが、もちろん彼だとわかる)が現れ、
「(ドリームシアターの)Octavariumのラストの部分はほんとにいい曲で、どこがいいかというと……待って、曲を聴きながら講義します」
と言ってipodを聴きはじめた。
おわり。

補足的なことを言うと、ある種の夢の中では、表象が物理学の法則のフィルタを通った贋物ではなしに、イデアと溶け合って現れてくるので、本質的か否かの観分けは本当につけやすいと思った。
イデアは現象界では原則として、視覚的な表象(だからこれは贋物の表象である)ではないね。見えづらいと思う。


沼倉愛美のライブに行った!!

以前、自分は深夜の松屋で知り合いとシュクメルリを食べている時、
店内の有線か何かで流れている曲に即座に自分の沼倉センサーが反応して「おっこれ沼倉さんの新曲やんけ!」となったと同時に、沼倉さんのライブが一週間後にあることを知ったゾ。
自分は、沼倉さんの歌は一度は生で聴きたいと思っていたので、行こうと思うが、一週間後じゃなぁ~、チケットないやろなあ、と思ったがダメ元で調べてみたら何と! 取れて! 行けた! 

会場

コロコロさんが流行り始めるくらいの時分で、豊洲で『叫べ』から入って来た沼倉さんは「まあね、なんかね、危険なものが流行り始めてますケド、皆さんきをつけて下さいね!」なんてMCを入れていた。オーラが半端ない。たぶん半径30メートルとかある。でもそんなの当たり前でしょ? 普通ですねって感じで見てたゾ。

導かれるように(笑)ライブに詣った自分は、
当然特別な経験をするだろう! という目論見で演舞を見学するが、
舞台に置いてあるラジカセの曲を聴いてるように、どうもしっくり来ない。

なんでなんや? せっかく沼倉さんのライブに来たのに、こんな程度のパフォーマンスなんか?? ……。と、焦ったゾ。


その時気付いたんだよね。
「自分は自分の見たいように沼倉さんを見ようとしている」ってことに。
(こういう気付きはきわめてよくある! そして、気付くほうが幸せだゾ!)
上のような見方では、表層の情報しか拾えず、対象の真価などは到底感じるべくもないんだゾ。
気付いた途端、自分の外側にあった蓋が破れて、一気に深目の沼倉さんの情報が入って来るんだゾ。

すると、沼倉さんの世界⇔自分の世界、になって、
うわっ、滅茶苦茶すげぇ・・・。ってなる。
その内容は自分の中に置いておこう。だって、ここでさらりと書けないほどには、すごいから。

『沼倉愛美でした!』
(沼倉さんらしい、本編終了時の一言だったゾ)



Nightwish『Human.:II:Nature.:』


 Nightwishの新作のCDを入手したの!
 インスト版が+1枚付いた3枚組ver.を買ったよ。

 まずdisc2の、楽団のみの組曲『All The Works Of Nature Which Adorn The World』を聴いたの。40分くらいの曲。8つのパートに区切られているの。

 次にdisc3の#1『Music』#2『Noise』のインスト版を聴いたの。自分は、インスト版が付属する場合、いつもインスト版から聴くコトにしているの。素晴らしすぎて訳がわからなかったの。凄すぎなの!! ちょっと情報量が多すぎるゾ。前もって#2のビデオが出てたじゃないですか。あのイメージで聴いたら、遥かに情報量が多すぎてびっくりしました。ビデオもよく撮られた映像だったけど、あれはむしろ曲を1個の断面にしてしまってる感じだゾ。はっきりとインスト版のほうが、今のNightwishの高みと凄みが生々しく伝わるゾ。それは聴けば一発で分かる! 
Nightwishは元々優れたBGMバンドでもあると思っているけど、近所の山道で掛けながら、音楽なのに音楽が停止した感覚(など)にとらわれた。これは初めての感覚。
倍音ってあるやん、いわば倍曲みたいな? 倍曲が無数に連なって降って来る感じ。
あるいは、音符やアンサンブルが、抽象的・具体的な物体となって、そこに佇んでいる感じ、っていうのかな。
もちろん、それだけじゃなくて、みんなはわかるやろ? つまり、いわゆる普通に聴く音楽が、音楽の一断面にすぎないってことは、充分に承知しておるやろ? 
すなわち自分は、上の2曲を聴きながら、音楽が徐々に姿を露出するさまをみていた。現象界に表れることができる部分である、単なる時間の中での音と空間の振動のヴェールの奥、超絶薄いヴェールの奥に、作曲家が込めた、色彩や存在について。
現象の世界での音楽の再生が止まり、物体・物語・人物の群像・現象の世界、これらを掛け合わせた独つの存在が呈示されること、すなわち、世界がいままでよりはっきりと現れること。
音楽は世界であることを、今までで最もはっきり知らされた経験の一回が、今回の2曲になった。
これは、このアルバムが「最も優れている」などということではない。今のNightwishが作品を世に出せば、当たり前にそうなるだけなの。
#2の単純なリフや、典型的な曲構成からは、ビデオを見ているかぎり、どうして自分に百回近くも聴かせるのか、いまいち分からなかったが、曲だけ聴いたら、簡単に分かったの。
曲(として表れている媒体)に込められた「隠れた情報」「奥深い処の情報」が超絶多すぎるからなの! 
メロディー、リフ、曲構成、リズム、楽器の音色、メタルor非メタルのジャンル、そうした要素に分解して観察してみても、今のNightwishの曲の魂は、手で掴むことはできないの! こうして言葉にさせないでほしいの。野暮すぎるの。音楽を知るみんななら、一度聴けば必ず分かるの。
きょうはこの2曲のインスト版を「一回聴く」(自分の中で作品の輪郭をおぼろげながらもつかむ)のに、気付いたら4時間くらい掛かっていたの。夢中すぎて。

バンドは、コロナによって創作の動機が触発された今、早くも次のアルバムを出したいだろうなぁ! と妄想する。
次もたのしみなの!

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過去に他所に書いた文をサルベージしてまとめたものです。 noteにupするに際して、オリジナルの文を一部手直ししている場合があります。

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