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松江日和〜夏寄りの秋から冬寄りの秋へ〜
私は朝から忙しない心持ちだった。
9月以降もそれ以前に比べれば暑さは和らいだものの気温は高い状態は続いていた。
だが今日の夕方以降から急激に気温が低下する予報が出ていた。
今日で本当に夏が終わる、いや正しくは夏寄りの秋が終わり冬寄りの秋が始まるのだ。
夏が好きで暗くて寒い冬が苦手な私にとって終わりの日だ。
松江にある古書店冬營舎の店主イノハラさん著の松江日乗の出版記念イベント「著者不在の出版記念イベントを考える会」に参加するため私は松江に向かう日だった。
数日前、今回のイベント企画の発起人のひとりモリタさんと会う機会があった。モリタさんによれば本来であれば出版記念トークイベントをしたいところだが著者本人がトークイベント的なことに参加を渋っているため、出版記念イベントをどのように行なっていくのかというプレ記念イベント的なものだという。何とも捉え所のないイベントだが私は興味をそそられまた当日は予定がなかったこともあり参加を決めた。
朝はまだ夏を感じる気温だった。服装は半袖だ。広島バスセンターから予約していた高速バスに乗り松江に向かった。昼前に松江駅前に到着、まだ気温は高い。すぐに出雲市行きの特急やくもに乗車するため券売機へと向かう。乗車券よりも特急券の方が値段が高い。やくも発車後すぐに後続の普通列車が発車するのでそれに乗車すれば良いのだが広島には特急列車が走っていない。せっかく松江に来たのだから特急列車であるやくもに乗りたかったのだ。
やくもに乗車、松江を出てしばらくすると右手の車窓に宍道湖が広がる。ここでしっかりと旅情をかき立てておく。広島と邑南町の二拠点生活で頻繁に島根入りしているのだがなんだか今日は島根来た実感があるというか島根に旅をしに来たという感覚だ。
途中宍道に停車した後出雲市に到着した。駅から程近いそば屋へと向かう。今日は運転の必要はない。昼からそば屋で一杯ひっかけるということをしたかった。しかも出雲そばで有名な出雲市でそれをやるのだから心躍る。
入店したのは11時を回ったところで開店してから間もなかったがすでに来客がちらほらと。そばと日本酒とあご野焼きそれにしじみ汁を注文、勤務中のサラリーマンと思われる客が昼食のそばをすする中、まずはあご野焼きをアテに日本酒を飲む。あご野焼きとはトビウオのすり身を焼き上げたもので出雲地方の特産品だ。板わさのようにワサビを乗せて醤油をつけて食べる。しばらくしてそばが出てきてすすり時たましじみ汁を飲む。あぁ美味い、幸せだ。妙な優越感に浸りつつも申し訳ない気持ちにもなった。良い感じにほろ酔いになりサッと店を出た。
一畑電車で松江市に戻るため、電鉄出雲市駅に向かう。そう、今回は松江と出雲の乗り鉄旅も兼ねているのだ。
電鉄出雲市駅に着くとまだ改札口からホームへは入れない。電車到着直前にならないとホームへ上がれないらしい。自動券売機で松江しんじ湖温泉までの切符を買う。程なくして改札が開きホームへ上がる。地方私鉄の車両は大手民鉄からの中古車両を使っているケースが多いが停まっていた車両は新型車両だ。1両であるがJR西日本の225系や227系に似ているデザインだ。
電車に乗り込み松江しんじ湖温泉に向けて出発する。途中一畑口でスイッチバックをする。一畑口は平地なのにスイッチバックをするという珍しい駅だ。電車はしんじ湖に沿って松江に向かって走ってゆく。車内のしまねっこが愛らしい。
松江しんじ湖温泉駅に到着、まだ雨も降っておらず気温は高く夏の空気に包まれていることを精一杯体感する。冬營舎に向かう前に荷物を置くために先にホテルへチェックインしに向かう。予約を入れたホテルは松江ニューアーバンホテルで松江しんじ湖温泉駅から近く冬營舎へ至近距離、また大浴場付きでしんじ湖温泉のお湯を使っていることが決め手となった。
部屋に荷物を置き冬營舎へ向かう。冬營舎の店主のイノハラさんとは邑南町のデッサン教室でご一緒したことがあり面識はあった。ホテルからわずかな距離であるが近づくにつれて気持ちが高ぶる。一人のお客さんと入れ違いに店に入る。古書だけでなく新刊も扱っていてお目当ての松江日乗があった。松江日乗は最後に手に取ることにし店内の本を棚の端から見ていく。料理に関する本が多く冬を題材にしたものがあるのが妙に心に突き刺さる。私が苦手な冬、イノハラさんが好きであろう冬。
「以前来られたことありましたか?」イノハラさんが話掛けてきた。マスクをしていて本を見るのに集中している横顔であるにもかかわらず何となく顔を覚えていていらしたようだ。
私は顔見知り以上であることを除いてお店や何かのイベントにいった時に自分から話しかけないし自分アピールをしない。「実は私、邑南町で古民家を借りて私設図書館をやっているものでして」などと自分アピール前面の必要はないと考えている。自分アピールのためや繋がり目的でそこに行っているのではないのだ。そこに魅力があるから行っているのだ。ただし自分の事を知られたくない訳ではない。自然な感じでお互いのことを知ることは望んでいる。そしてお互い知ることができなくても良い。自然な流れというのを大事にしている。
「えぇ、邑南町の紙楽社をやっているものです、ほら、モリタさんの古書店の隣の。以前デッサン教室でご一緒しましたよね。」
「あぁ、そう、そうでしたよね。遠くからありがとうございます。」
カウンターに置いてあったイベントフライヤーを指差しながら「今日夜、これやるんですよね。私、参加しますよ。」
「あら、そうなんですね。」
「モリタさんからどんなイベントなのか話聞きましたよ。楽しみにしてます。」
「モリタさんから?ふふふ。」
私は再び本棚に目を向ける。古き良きアメリカンスタイルのBBQの古本が目に留まった。紙楽社の庭でこんな豪快なBBQができたらいいなと想像を膨らませる本だった。店内の本棚を一通り見終わりいよいよ松江日乗を手に取る。この本はリトルプレスBOOK在月bookに掲載された松江日乗 古本屋差し入れ日記を編集したものだ。BOOK在月bookのそのコーナーを読んでいたので私はこの本がピンときたのだ。松江日乗を買う前提だが少々立ち読み、BOOK在月bookは人の名前がイニシャルだったが松江日乗ではカタカナであるがちゃんと名前で書かれていた。
そろそろ店を出ようと思い松江日乗とさっき気になったアメリカンスタイルのBBQの古本を手に取りイノハラさんへ会計をお願いした。人の名前がイニシャルでなくなったことを尋ねるとイニシャルだと読んでて分かりにくくどの人なのか追えづらいだろうとのことだった。また全ての人が実名ではなくて仮名の人もいるという。実際、松江日乗を読んだ方からどの人なのか追えているとの感想があったのだそう。BBQの本が出ていくことにちょっと寂しそうなイノハラさん、また夜来ますねと言って私は店を出た。
次に私は今井書店本社1階のTONOMACHI63へ向かった。そこは郷土本が充実した品揃えで雑貨も販売している書店だ。今井書店は島根鳥取で店舗展開している新刊書店だ。事前のリサーチ通り、郷土本ではあるが歴史ものが多い。Cafeリテラチュールへようこそという4つのファンタジー小説からなる本で小さな今井大賞受賞本がきになった。この本は紙の色が4色にストーリ毎に色分けされているばかりか、四季も分かれていた。夏は第2章天の川ゼリーだ。夏色だ。ついこの間まで夏だったのに。もう本当に夏が終わろうとしている。夏への愛しい気持ちが込み上げつつページを閉じこの本を買って店を後にした。
スマホでアメダスを確認すると日本海上に一直線に雨雲が映し出されていた。冬の空気と夏の空気がぶつかり合ってできる前線の雨雲だ。あと2時間弱で松江にやってくる予報。これが来ると一気に気温が下がる。時間がない。急いでホテルへ本を部屋に置きに戻った。
銭湯に行きたいと思っていた。松江市唯一の公衆浴場 ちどり湯だ。ホテルから十分徒歩で行ける距離、宍道湖沿いの歩道を歩きながらちどり湯に向かった。
古びた昭和の銭湯ではなくスーパー銭湯のような店構えだった。お湯はしんじ湖温泉を使っているようだ。サウナ、水風呂、電気風呂はなく至ってシンプルな銭湯だが明る綺麗で泉質もまずまず、一畑電鉄の線路沿いということもあり時々電車が通過する音が聞こえる。鉄道ファンに喜ばれる銭湯なのかもしれない。
雨が降る前にと急ぎ足でちどり湯を出て再び宍道湖沿いの歩道を歩く。湖上からの風がとても気持ち良い。これが間も無く冷たい風に変わるのだ。この心地よい風を全身で感じた。
ホテルに戻り松江日乗に目を通す。三江線が営業終了した2018年3月31日あたりが気になりそこへページを飛ばす。三江線廃線の言葉が出ていた。乱読気味に読んでいき自分が知っている人たちを探す。モリタさんはなぜか実名ではなかったがすぐにわかった。紙楽社近くの邑南町阿須那でカフェ兼ゲストハウスの店主さんも実名ではなかったが見つけた。他にも知っている人たちがちらほらと登場している。もちろん私は今回初めて冬營舎来たので私は登場していない。
16時を過ぎた。イベントは19時からでまだ3時間弱あるので早めに夕ご飯というか軽く一杯引っ掛けるために松江の繁華街に繰り出した。まずは松江京店商店街を歩く。開店が17時からの店が多くまだ時間が早いようだ。お店をチェックしながら松江新大橋を渡り繁華街である伊勢宮町へ向かう。飲兵衛にとって一番楽しい時間だ。伊勢宮町は広島の流川薬研堀エリアをギュッとコンパクトにしたようなエリアだ。居酒屋系のお店よりもスナックやキャバクラが多いまさに夜の街だ。今自分が求めているのは居酒屋系のお店、最初の京店商店街あたりの方が居酒屋系のお店が多かったので引き返す。
松江新大橋を渡る直前にポツポツと雨が降り出してきた。ついにやってきたのだ。終わりだ。終わったのだ。だがまだ気温は急激に下がらない。持っていた折り畳み傘を広げて橋を渡った。
さっきは開店準備中だったお店もちらほらと開店していた。1件そば屋が気になっていたのだがまだ開店準備中、昼もそば屋だったということもありもう1件気になっていた居酒屋が開いていたのでそこに入った。島根の日本酒や魚が充実していそうな店だった。すでに先客あり、私がカウンター席へ着席した後も続々と来店客があり人気店なのだろう。レモンサワーと出雲の日本酒 天穏の常温1合を同時に注文する。軽く引っ掛けるとは言いつつも1杯で満足するわけがなく2杯目を注文することは分かりきっているのだからあらかじめ最初に2杯注文しておく。
飲み物が出てきたところで後の注文はスマホでQRコードを読み込んで飛んだサイトから注文するシステムだった。最近はこのシステムを採用する店が増えたと感じる。個人的にはタイミングを見計らっていちいち店員さんを呼ばなくても気軽に注文できるので良いのだがスマホを持っていない方や操作が苦手な方には少々不便な方向に行っているのかもしれない。アテは奥出雲舞茸のアヒージョや鯖が入ったポテトサラダ、刺身盛り合わせにした。最後は冷たいビールで喉を潤し店を後にした。
外へ出ると小雨ではあるが本降りになっていた。寒さはないが涼しさを感じるようになっていた。まだ涼しいレベル、大丈夫と自分に言い聞かせる。
店を出てホテルに戻らずこのまま冬營舎へ向かった。着いた頃には19時少し前だったが2名の方が来られていた。その1人の方がタムラさんという歌人の方だった。本も出版されており湖とファルセットという本で冬營舎でも販売されていた。湖のふりがながうみとなっている。出雲や松江の人にとって宍道湖は湖ではなく海のような存在なのだろうか。イノハラさんも交えて4人で話をしているうちに今回のイベントのもう一人の発起人である松江日乗を出版した出版社のオキタさんが入って来られた。オキタさんとは2019年秋のBOOK在月に参加した時にお会いしていてお互いに面識があった。久しぶりの再会で互いに挨拶を交わす。その後モリタさんも入って来られた。モリタさんから邑南町から松江に向かう途中で寄ったスーパーの半額の惣菜と巻き寿司の差し入れが入った。そういえば私は何も差し入れを持ってこなかった。いや、差し入れを持ってくる気は全くなかった。松江日乗は差し入れが話題になっている本でもありますます差し入れが増えることも考えられる中、人と同じことをするのが好きではないのだ。少々天邪鬼な性格。冬營舎は書店、差し入れ云々ではなく本を買うべきなのだ。時間もそれなりになったのでスタートの号令はないが何となくイベントが始まった。まずオキタさんから本の販売状況の話があった。要は松江日乗は売れているのだがもっと売りたいようだ。モリタさんも同様の心持ちのようで販路を広げたいようだ。みんなでつくる中国山地の本も話題に上る。本を売ることが難しい本離れ、読書離れの現在の状況が感じられる話題が出てくる。また本は書店よりもカフェなどの方が売れるらしい。ハートランドビールをお代わりし心地よい酔いの中話を聞き入る。
冬營舎の常連客になりたいという人が増えているとの話が出た。松江日乗の登場人物になりたいのだそう。足繁く冬營舎に通うお客さんたちはここに何を求め何を得ているのだろうか。冬營舎は本以外にも何か大切なものを人々に提供しているのかもしれない、そんな気がする。また一歩冬が近づいたのか松江日乗が売れているのかわからないがイノハラさんは嬉しそうだった。私が座っていた背後の本棚に一冊夏の料理の本があった。手に取り本を開いたがすぐに閉じて本棚に戻した。冬を待ち侘びている人もいる。もう夏を振り返らない。
イベント途中でも参加する方が3名来られ総勢9名となり程よく賑やかなイベントとなった。時間も21時をゆうに回りお開きとなり挨拶を告げて店を出た。小雨ではあるが雨が降り続いていた。まだ涼しいレベルではあるが気温は確実に下がっていた。
結局冬營舎ではハートランドビールを2本飲んだのだがせっくの松江の夜、もう一件飲みに行きたいと思い再び伊勢宮町へ向けて歩き出した。わかっていたことなのだがスナックやキャバクラメインでどうも入りたい店がない。いや、夜の松江を彷徨いたかっただけなのかもしれない。小雨が降る中夜の松江の町をふらつきながらホテルへ戻り眠りについた。