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#15「教える立場」の落とし穴

神奈川県の横浜でパーソナルスタイリストをしています、Caoliです。
パーソナルスタイル=おひとりおひとりへの「似合う」のご提案をしています。

8月から受講しているFPSSの講師、久野先生のポッドキャスト。

ノンプロ研主催のタカハシさんがVoicyを始められたのを聴き始めて、他のポッドキャストも聴き始めてたどり着きました。

当時は「イメコン」で検索するとVoicyで定期更新されているチャンネルはなく、着物に特化したチャンネルもなかったので、「チャンネル作りなよ〜」と言ってもらったりもしましたが、さんかくさんが、パパパーン🎉とデビューされましたね。ちぇっ。(さんかくさんの発信は大好きです)

話を戻して、久野先生の配信を最新を追いかけつつ遡及もしていて、いま1年分くらい聴いたところになります。
639回目の配信がちょっと感じるものがあったので、トピックにしたいと思います。

「人に正解を教える立場で、支配欲に抗えるひとは多くない」という趣旨のお話がありました。「わかるけれど、その危うさへの教育を私は通ったはずだ」と思っています。が、改めてハイライトしたいなと思いました。

士業で「先生と呼ばれたくない」とおっしゃる方は、この危険性を感じているのだろうと思います。Big4でアシスタントをしていた頃は「アラフィフに先生と呼ばれたところで、書類整理となればアシスタントのが遥かに巧いんだからな、ペーペー!」的な訓示なり洗礼は複数回耳にしています。
学生ストレート合格1年目の、心を死なせずに鼻っ柱をへし折ることに苦心するマネージャーはかなりいたように思います。
アシスタントは本職の絶対的三角形構造の外にいるせいか、帰り道ご一緒するとポロっとこぼされたりするんですよねぇ。アシスタント同士では「あるある」、本職にしてみれば「みんなそうなの?」的なエピソードも何パターンかはありそうです。

一般企業を経験してから受検合格した人も同じテーブルで採用になるので、いわゆるパンキョー的な新人教育は手厚くありません。
(いま、あのご担当者様は「内心不愉快です」とわざわざ表明されたからだいぶ怒ってますよ〜。ヒヤヒヤ。僕悪くないもん、て言ってたらダメ〜)みたいなケースで先輩方が指導を入れない場合とか。先輩も気づいてないのか、先輩はもう匙を投げているのか、悪いカルチャーが出ているのか。
そして社会人2ケ月目の青年に年上とはいえ部下が提言してよいものか。なかなか悩んだ覚えがあります。(結局もっと上から指導が入って、不満げに謝っていた。社会人1年目の理不尽の洗礼、あるある。5年もすれば、あれは怒られて当然とふと気づくまでセットだと思う。彼も順調ならそろそろマネージャー職だろうか。。。)

対等な契約がベースではありますが「クライアントの収益から己の収入を得ていること」を失念すると見失うものがそれなりにあるように思います。クライアントが求めているのは「己の知識とスキル」です。「カリスマ性」ではないんですよね。「先生なしには我が社は立ち行きません」と仰る経営者もいるでしょうけれど、それが事実かは怪しいものです。
研鑽の上での情報収集・判断・処理は誰にもできるものではないのでサービスとして成立しますが、それはクライアントの機能のほんの一部でしかないことを忘れてしまうと、自分の知識やスキルを「施し」ているような気になったり、不相応な万能感を覚えてしまうのではないでしょうか。それが態度に出て尊大になったり傲慢になったりしたら、それこそクライアントを失いかねません。

主役はあくまでもクライアント。
クライアントが何を目指して迷子になっているのか。必要なのはGPSなのか、道路標識なのか、コンパスなのか。
「最短距離のトンネルに決まってるだろ、予算出せ!」でクライアントのニーズが満ちるとは限らないし、アドバイザー職に求められるのはニーズを満たすことです。「穴あけドリルを買いに来た客が欲しいのはドリルではなく壁の穴だ」という逸話もありますが、クライアントがやるべきこと、できることも拾い上げつつ「良いサービス」を成立させようとするなら、やるべきは「君臨」ではなくて「伴走」だよなぁと思います。

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