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楓のような夕日をあなたとㅤ

「目覚めたら、都合のいい世界に置き換わっていた」なんて馬鹿げた空想をしながら、道端の小石を蹴り上げた。
この先にある商店街のパン屋さん、前の職場の帰り道に買っていたな。
そういえば、あのパン屋さん新作を出したんだよ。
あなたが絶対好きなやつだよ。
外がバリバリのハード系のパンでさぁ……
好きな物を好きな人に伝えたいそんな時にあなたは居ず、いずこへ。
空虚の帰り道に、蹴った小石の音が寒空に吸い込まれていく。
パン屋さんのバターの香りみたいに、甘くとろける匂いに包まれた日々。
あなたは、あの商店街から見える、誰も立ち止まらない夕日に、シャッターを切ってますか?
誰も目に止めない、誰かにとっては特別な夕日。
安全神話がいつか崩れ去るように、私たちの関係も崩れ去るんだろうなって分かってたよ。
でもね、でもね、突然すぎるんだよ。
ばかやろう……って言っても届かないか。
溢れ出した感情は、涙を伴ってこの世界にこぼれ落ちる。
あなたの居た世界は、全てが愛おしかった。
一分一秒ですら、愛でた。
そんな世界を私の物にしたかった。
でもあなたはもう、この世界のどこにも居ない。

だから、世界征服やめた。

春と呼ぶにはまだ早すぎる、寒さを取り残した3月。
私の人生を振り返るように、轍を1歩1歩踏みしめる。
紅楓峠を目指して歩く。
地球の公転は、季節を創り出し、森の木々を紅葉させる。
使われなくなった紅楓峠線は森に還り、木の根っこと同化している。
悪路を小一時間進むと、紅楓峠駅の残骸が姿を現す。
草木が蔓延り、某ジ○リ映画のラ○○タを彷彿とさせる佇まい。
紅楓峠土砂崩れ追悼碑に、そっと花束を手向ける。
‐これより先、崩落の危険性あり。立ち入り禁止‐
そんな看板を他所目に、ゴツゴツとした岩を乗り越えて、紅楓峠を目指す。
あなたのいる場所へ。
誰も寄り付かなくなった鬱蒼とした森に、楓だけはそこに彩り続けていた。
岩をどけ、岩をどけ、泥だらけになりながら、岩を退けた。
ベルト状のものを見つけた。
あなたが肌身離さず、持ち歩いてたミラーレス一眼カメラ。
SDカードは無事だった。
データー復旧専門の、株式会社データーサルベージに依頼した。
あなたの最後の景色がみたくて。
あなたの最後の景色を見て、未練タラタラの恋にキリをつける為に。
連絡が届き受け取りに行った。
復旧された画像の中にあったのは、夕日のような暖かい写真ばかりだった。
活き活きとした紅楓峠が蘇る。
「こんなに美しかったんだ……うぅ」
嗚咽を抑えながら最後の写真を開封した。
そこにはあの商店街の夕日が灯っていた。
誰も目に止めないけど、あなたと見た特別な夕日。
そんな夕日が灯る、世界をもう一度征服したくなった。
あなたとの長い長い恋を終わらせ、私の道を生きる。
その後ろ姿は、夕日によって影が商店街の石畳に投影される。

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