【時を知る】とは(長所と短所の成り立ち)
【時を知る】
誰にでも短所や長所はあるものですが、
ときどき、この人には欠点や短所が見当たらない。
と感じる人に、めぐり会うことがあります。
それは何故でしょう?
今回はそういったお話です。
昔から伝わる「時を知る」という言葉があります。
古くは旧約聖書でも、仏教の経典でも説かれている言葉です。
この『時を知る』という言葉の真意に『欠点を長所に変えていける力』があります。
ときを知るとは「いまこの瞬間、何が大切なのかを知る」という意味です。
人は誰もが幸せになりたくて生きています。
それを踏まえて、さらに詳しく言い換えると
『時を知る』とは「幸せになるために、いま必要なことは何かを知る」ということです。
そしてこの『知る』とは、頭で理解するという事でもありません。
心でその大切さを感じて理解し、行動に移せるということを指しています。
たとえば、常に怒りっぽい短気な人が、怒ってはいけない時に怒るから短所になるし。怒るべき時に怒れば長所になる。
言い換えると、常に優しい人が、優しくすべき時に優しいから長所となり。優しくしてはいけない時に優しくすれば、優柔不断と言われる。
しかし、優しくしてはいけない時に叱れば、それも優しさという長所になる。
その根底にあるものは『相手の幸せのために、いま必要なものを与えられる』という人間力。
その究極は『愛』ということになります。
それを行うには、相手が何を幸せに思っているかを知らなければならないし、相手が幸せだと思っているその道が、本当に幸せに成れる道なのかを見極められなければなりません。
ときどき出会う、欠点が見当たらない人というのは、それが出来る稀有な人達です。
古い言葉を借りるならば、聖人や賢人などと呼ばれる人達のことでしょう。
『時を知ることが出来る人』が『短所を長所に変える人』ということ。
自分の長所や短所に苦しんだり、迷ったりしたのなら、この話を思い出してみて下さい。