「わたしと着物」
わたしと着物の関係といえば、、、ほぼ無縁。
雰囲気から和装が似合うと思われがちですが、肩幅が広く薄い体型のため20代で自分なりに「似合わない」と結論を出しました。
母が長年茶道をやっていたため、着物世界の奥深さは容易に想像がつきました。ですが、その深さゆえ立ち入ってはいけないエリアのような気がして敬遠したのです。
2009年から自身のスペイン舞踊団の舞台をつくりはじめました。毎年の新作発表は楽しみでもありますが、同時に大変な責任と生みの苦しみもともないます。2016年に転機が訪れ、公演の方向性を「日本語カンテ(フラメンコのうた)」を意識し、大きく変える決断をしました。
公演の内容は、また別な機会にします。そこで着物の魅力に触れることになったのです。
2016年より遡ること3年。2013年着物アップサイクルのプロ デザイナー安楽きわさんに出会いました。
まず着物への愛が溢れ出ている人。
そして、誰より詳しく、その柄を組合わせる感性は、彼女独自の世界。一瞬で惹きつけられました。
舞台用の衣装に着物の生地を使いたいと希望を伝えました。踊り用なので、着物そのものの形を生かすのではなく、あくまでも洋服としての衣装を作りたいと考えました。そこで、無知の私は彼女のアトリエに通うことになったのです。
上下逆、または横に寝かせてみる…などなど。元々の着物柄の向きを大胆に、自由に変える発送。
『この柄、腰のこの辺りにこう置くと、落ち着きより、前に進んでいくパワーみたいなものを感じますよね… 』
『紋をね、ここにちょっと置いたりして… 』
そこにあらわれる新たな効果を引き出す。彼女の感性が伝わってくる。 初回にして、創作衣装作家の凄みを感じる。学者が文献に詳しいのと全く同じでした。
柄・素材・色・模様・織・染め・刺繍など着物の時代やメッセージ 柄の合わせ方 アトリエの奥からは、膨大な着物生地のサンプルがこれでもかというほど出てくる。
さらに輪をかけてすごいのが、彼女のお母さん。建築家として活躍中のお母さまは、きわさんより詳しいコレクターだという。私たちが生地選びをしていたら、隣の部屋で我慢ができなくなったのか、様子を見に入ってきてくれました。
きわさん母「あ、平さん、凄いの見たい?」
わたし 「見たいです」
きわさん母「 これ、どう思う?」
わたし 「うわ〜すごいですね ! 」
きわさん母「そうなの。あ、だけどこれ使えないよ!もったいないから出せない」
ふたり 爆笑
同じ黒地でも、時代によってその濃淡が全く違う。良いものなのに、古すぎて黒の色が薄くグリーンに見える。黒は黒でも、こんなにも違う色なのかと改めて思い知らされる。
無知故に、興味・楽しさが尽きない。
柄に込められた想いや、意味合い。日本人ならではの細やかな感覚、文学や絵画などと同じアートを感じる。
そののち「日本の紋様」にまつわる本を読みあさったりして…
衣装として出会った着物生地たち。それをナビゲートしてくれる安楽親子のおかげで、着物の素晴らしさ知り、それを見る目を養いたいと願うようになった。
日本古来からの着物文化。誇らしくもあり、今後の楽しみとしたい。
その後しばらく、和をテーマにした作品に合わせ着物生地を使った衣装をつくりました。
着物そのもの
昨年10月、秋の新作発表直前。
いつもは多忙と緊張でピリピリ状態のわたしが「恋フラ」という企画の撮影協力で着物を着ることに。今度は、着物生地の洋服ではなく、着物そのもの。
この時は、結局自分で準備できず、何から何までスタジオメンバーの洋子さんにお願いすることとなる。
そもそもは浴衣でスタートのはずだったにもかかわらず、わたしの雰囲気や年齢など全てを考慮して着物を選んでくれ、着付け、現場での調えまで何から何までやっていただいた。
甘えに甘えた結果、それはとても楽しいひとときでした。
わたしが気をつけたことは、たったひとつ。
「着物を意識してフラメンコを踊る」ということのみ。
結果、やはり着物の魔力は存在しました。
踊りは、ターンアウトと言って、脚自体が外に開いているのが望ましいのですが、着物は違うだろうと予感しました。そして、何も考えずに踊ってしまうと着崩れてしまうのではないかと考え、動きにも気を付けました。
やはりそこは大事だったようで新たに知ることでした。
着物には、それにふさわしい動きを心がけるのが重要。
「所作のうつくしさ」
これは、日本人がオリジナルで兼ね備えている感覚ではないかと…
20代の頃、似合わないと感じた着物。
年齢と共に、だんだんと似合うようになるのかな…と思える出来事でした。 いずれにしても、日本が世界に誇る着物。
これからの楽しみに。