「いいこ」ってなに?
『保育園のVision共創プロジェクト』というものに参加しているのだけど、ここでは【保育は教育である】【保育士さんは保母さんではなく、教育のプロである】といった観点から、保育士さんたちの意識をアップデートしよう、というワークショップを行っている。
(と、わたしは解釈している。)
保育園とは、誰のための施設か。
そのために、保育園は何を提供するか。
保育士たちは、どう行動するべきか。
などを、現役保育士さんたちが、自分たち自身がどうしたいかベースで考え、話し合い、みんなでひとつの答えを導き出していく、というのが主なワーク。
そこで『保育園のミッションとはなにか?』という問いが出された。
ここで1人の参加者さんから、とても深い気づきとシェアがあった。
その人は「子どもたちにどんな未来になっても"生きる力"を身につけてほしい」と話し始めた。
それは"楽しい"や"好き"という、自分の内側から湧き出る感情から、考え、選択し、行動する力だという。
それがないと、大人になったときに「周りに言われたからやった」という経験になる、と。
それは、その人自身の体験でもあった。
その人は今まで自分で選択してきたことがなかったようで、周りの人の意見に身を任せてここまできた、という体験になっているらしい。
そうすると周りからは「優等生」とか「聞き分けがいい子」と言われるらしい。そして、自分では何も決められない。
差し入れでお菓子をいただいたとき、種類がいくつかあると、なるべく最後に選ぶらしい。
他の人がほしいと思ったものを自分が先に取っていたら申し訳ない、という思考が働くそうだ。なので、自分が先に選ぶ必要がある場合は、一番数が多いものを選ぶようにしているらしい。
そんな自分のようにはなってほしくないから、いま保育園にいる子どもたちには、自分で人生を選べるようになってほしい、と。
なんていい気づきで素敵な話なんだろうと聞いていたら、他の参加者の方から
「えー、他の人を優先するなんて、なんていい子なのー!」との声が。
自分の食べたいものを我慢して他の人に譲る。他人の意見に合わせる。争いを起こさないようにする。
そう行動することが『いい子』なのだと言う。
なんだそれ。
『いい子』ってなんだ?
「聞き分けがいい子」
「大人しくていい子」
「静かでいい子」
大人が子どもに"いい子"とつけるときは、自分の思い通りに動く子のことをさしてるように思えた。
そしてわたしには、それは『いい子』には思えなかった。
『自分のない子』なのではないか、と思った。
他人に選択を任せ、自分の行動の理由を周りの人に委ねる。
そんな人のどこが『いい子』なのだろう。
そんな子どもが成長して大人になったら、話は飛躍するかもだけど、それこそ選挙とか全く興味ない人になるんだろう。
自分の力で選択できないのでは、変化のスピードが早すぎて予想も想像もつかない20年後に、生きていく力なんて持っていないんだろう。
わたしは"我がまま"に、自分自身の選択をして生きていきたいと、そう思った。
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