生きるというスタンス
わたしの仕事のパートナーは、いわゆる”変わっている”。
ケータイのキャリアを解約して、スマホは持っているがwifiがあるところでないと連絡はつかないし、そもそも、もろもろのSNSの通知をきっているので本人のタイミングで確認したいと連絡が言ってることもわからない。
かつて受信を実行しないと届かなかった、メールみたいだ。
そんなパートナーと組んで仕事をしているのだけど、ある共通の友達と今日話していて
「◯◯(相方)と連絡がつかない」
「◯◯がやるって言ってくれても、いつやってくれるかわからない」
「◯◯とよっしーをセットで考えちゃうから、◯◯が不安定だと仕事したいと思っても2人のどっちにも依頼しにくい」
と言われた。
正直、わたしも相方の連絡不精にはほとほと手を焼いている。
最終手段は家にピンポンなのだけど。
その友人と話をしているときは、そういう”同調”が湧き「わかる!◯◯て連絡つかないし、なんか世間ズレしてて困るよね!」って話してた。
根っからのアーティスト気質な相方(実際、画家で偏屈なアーティストなのだけど)は、本当に宇宙人なのだ。
こないだ藝大の卒展に行って、藝大は宇宙人を排出する場所なのだなーと思ったけど、わたしの相方も相当な宇宙人だ。
でも、なんかふと思った。
もしわたしの相方がマサイの戦士だったら。
ケータイを配給したとして、wifiが届かないところにいたら見ないだろう。
国も文化も違う相手だから許容できるって言われたら、そうなんだけど。
国が同じだとしても、その人個人の”文化”や”常識”は、なかなかに多様化してるんじゃないかなって。
だし、相方が連絡つかないからってなんでわたしの信用まで落ちるのか。
納得いかない。
それで人を信じられないと思うのは、そちらの勝手ではないか。
これは今度本人と会ったときに話そうと思うけど。
同じ国に生まれ過ごしていたとしても、人によってけっこう常識は違うんじゃないかなーと思った。
その友人は、大学のときに起業したから雇用されたことがないので、”組織で動く会社員として”的な、割と多くの人が考える常識、というものがなかったりするし。
いろいろ多様化してるなーと思いつつ。
どんな人と想いを共にし、共に過ごしていきたいか。久しぶりに考えた日だった。
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