交換日記という、どこか懐かしい甘酸っぱさの始まり
誰か忘れちゃったんだけどさ、好きなスタイリストさんが交換で記事を出し合ってて、すごい素敵だったの
もしよっしーがnote書くことが楽しいモードだったらやってみたいなーと思ったんだけど、今どんな感じ?
もゆちゃんからの、突然のLINE。
『誰か忘れちゃったんかーい!』
なんて、そんなツッコミから、今回の交換日記は始まったね。
でも、それはすごくワクワクするお誘いで。
「今どんな感じ?」って聞いてくれるのも、心地よかった。
コロナの影響で外出自粛となってから、なんだか人との距離がすごく離れたように感じてるんだよね。(まぁ、実際距離をとらなきゃいけないんだけど。)
わたしは今月、たまたま仕事をあんまり入れてなくて。
人と会う約束もないから、ただ予定どおりに家にいるだけなんだけど、なんかちょっと寂しさというか。
自分の意思で家にいるはずなんだけど、強制されているかのような感覚で。
「あーそぼっ!」て、気軽に誰かと会えない。そんな窮屈さを感じてたんだと思う。
だから、もゆちゃんからのお誘いは、なんだかとってもうれしかった。
そっか、直接会わなくても、時間を共にしていなくても、想いを重ねることができるんだなぁ。って。
それで二つ返事で「やろう!」ってなったんだけど、タイトルの決まり方も、なんだからすごくすんなり。だけど、運命的というか、すごくビビッときた感じがあって。それもまたうれしかった。
そもそも交換日記にタイトルなんて、ほんとはいらないのかもしれないけど。noteでやるなら、なんかまとめて読めるものにしたいなぁと思ったんだよね。で、マガジンにしようと。
だから、タイトルを決めるのに「なんでこれやってみようと思ったの?」と聞いてみた。
「問いかけありがとう。そういうの助かる!」
もう、いいよね。深掘ってくれ!ってその姿勢。
でも、誰かに問いを渡してもらうから気づける自分の思考ってあるよね。
その問いについての回答は、さっそく日記にしてくれてて。
「自分」についてよーく考えるようになって、「自分」と「他者」の境界線がわかってきた感じがあるの。
この言葉を聞いた時、わたしが去年やった個展のタイトルが『ワタシの境界線』だったことを、すぐに思い出した。
その時のわたしの問いは
"ワタシ"はどうやって形作られている?
何を美しいと思い、何を楽しい、美味しいと思う?
アナタの中のワタシはどんな輪郭をしてる?
"ワタシの境界線"って、なに?
だった。
わたしの写真を見た友達から「なんで一緒に過ごしてるはずなのに、こんな瞬間が撮れるの?」って言われたことがきっかけ。
たしかに、一緒に過ごしていても、切り取りたいと思う視点が、人それぞれ違うんだなぁって。
そこで「自分」と「他者」の境界線。
さらに、それがあることで浮き彫りになる自分という輪郭について考えたんだと思う。
わたしにとって書く、ということ自体が1人でやる物だと感じていたのだけど、それを交換日記っていう形でお互いに影響を与えあう形になるだろうなってことわたしにとってはすごく面白い試み
これは、ひーちゃんの言葉。
わたしも、noteって自分に向けて書いてるというか。パブリックな場なんだけど、1人っていう感じがあって。
だから、今回の"交換日記"というシステムは、とても甘酸っぱい。
ひとりごとのようで、2人に語りかけてるような。なんか不思議な感覚でいるよ。
同じ問いについて考えてみたり、自分が考えてることについて、2人にも考えてみてもらったり。
こうやって"ワタシ"たちの境界線が、少しづつ見えてきたら、おもしろいと思う。
これから、この交換日記がどうなっていくのか。
とても楽しみ!
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