憧れられる=切り離される、という体感
北海道で、数年前から暮らしを作り始めている友人夫婦がいる。
わたしも3年前からそこに参加し、一緒に暮らしを作っている。
そこでの暮らしは、自然と共にいる暮らしで。
太陽と月と時間を共にし、畑の恵みを受け取り、出たゴミはコンポストとして自然に還す。
ここで発信していることを、わたしの周りの友人たちは「すごいね〜」と言ってくれる。
そしてつい昨日、「北海道での生活、本当にオシャレだよね!」「真似できないな〜」と言われた。
そこで『オシャレ』と連呼されること、『真似できない』と言われることについて考えた。
暮らしが『オシャレ』だと言われること
たしかに、オシャレだなと思った。
でもそれは、わたしたちが暮らしに真摯に向き合って、丁寧にモノを選んでいることが理由の一つにあると思った。
何かを選ぶときに、長く愛着を持って使い続けられるか、を考える。
使い捨てでないものを選ぶ=長く使う=本当にそばに置いておきたいものを選ぶ、となるな、と。
make senseって納得するという意味だけど、単語だけ追うと「センスを作る」だ。
自分で考えて納得できるものを選んでいくことは、センスを磨いていくことと同じなのでは、と思った。
そしてそれは、暮らしを選択していくことにも当てはまるのでは、と。
そして、天然素材のものをなるべく選んでいるということ。
そこには、たしかに体温がある。
プラスチックはとても便利だし、使うこともあるけど、使い続けるものとしてはあまり選んでいない。
でもそれは、保存容器を使い終わったジャムの瓶にするだとか。そういう繰り返し使っているだけだったりする。
あとは、自分たちの手でやってみる、をしているということ。
でも、これらは、全然東京でもできることだ。
『真似できない』と言われること
たしかに、東京の賃貸マンションで畑ができるかというと、それはベランダ菜園くらいしかできないし、なかなか難しい。
だけど、例えば保存容器をプラスチックから瓶に変えてみるとかは簡単にできる。
実はこの瓶は、日本酒のワンカップだったりする。
食べかけの丸いクッキーの形と、ぴったりだったから。
これがビニール袋だったら、たしかにオシャレでもかわいくもないし、ときめかない。
自分でやってみる、でいうとコーヒーを豆から挽いてハンドドリップすることは、少し時間をとればできることだったりする。
そのとき、豆の産地のことをちょっと知るとか。
フィルターを使い捨てでなく麻のフィルターにしてみるとか。
ほんと、ちょっとのこと。
庭がなくても、グリーンと共に生活はできる。
グリーンがあると、晴れると土がよく乾くとか。今日は湿気が多いな、とか。
東京の真ん中でも、天気という大自然に触れてることに気づくし、それについて考える時間ができる。
発信をすること、身近に感じてもらうこと
コロナで多くの人が家で過ごす時間が増えたのでは、と思う。
これは、自分の暮らしを作っていく、いいチャンスだと思う。
「オシャレだね!」「東京ではなかなか真似できないよ〜」
こう言われて、わたしは憧れられるということは、切り離されることでもあるのだな、と感じた。
「いいね!」と言ってもらえるのは、単純に嬉しい。
でも、こういう暮らしがあるということを知って、共感してもらえたならば、少しでもアクションを起こしてもらえたら、もっともっと嬉しい。
なので、もっと身近に感じてもらいやすい発信もしていきたいなーと思った。