人はいつ"学ぶ"ことをやめるのだろう
小さい頃は勉強が嫌いだった。
求められる答えを出すこと、
答えが一つであること、
いろんなことが疑問で。
でも、いつからか
答えを全部飲みこんで、まるで自分から出てきたように吐き出す。
そうやって"求められる答え"を出してきたように、ふと思った。
本当の"学び"って何なんだろう。
自分が出したい"答え"って何なんだろう。
いつからか、聞かれる問いの求める答えを考えるようになっていて。
それはきっと自分の内側から出る"答え"ではなくて。
バンクーバーの博物館や美術館、水族館では問いがいっぱいあった。
"この現象についてどう思うかあなたの意見を書いて"
"あなたの思う未来を描いて"
久しぶりに会った専門職の友達は、短大で勉強してから現場に出て10年以上経っていて。2年以内に、改めて試験を受けることを義務づけられているらしい。
現場にいるとしても、その現場というのは限定されていて。
もっと大きな世界の渦や、トレンドまでは把握できない。
ある種、狭い世界にいるんだろう。
机に向かう"勉強"は、もうとっくにやめている。
でも、わたしたちは日々いろんなことを学んでいるように思う。
その専門職の友達は、その試験をめんどくさいと言っていたけれど、きっとその試験のために、その試験の先の自分の仕事のために、仕事で関わる誰かのために、勉強するんだろうな。
学校の勉強ってなんのためにやってたんだろう。
まだ、それの答えは出てないけれど。
忍耐力とかなのかな。
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