1人に1つの砂時計
"1人に1つ、砂時計を持っていて
病気で余命を宣告された人はそれが透明で
自分はただ残された砂が見えてないだけなんだって思ったんだよね。"
昔、ヘルパーのバイトをしたことがあるという友達が、ふとそう言った。
そうか。
わたしたちは落ちた砂と、まだ落ちてない砂の間で生きてるのか。
自分には、あとどれくらい砂が残っているんだろうか。
知っていたほうがいいのか。
知らないほうがいいのか。
その子が出会った、残りの砂が見えている人は、明るく自分の余生を見つめていたらしい。
残り、数年とわかっているなら楽しく、後悔がないように生きようと。
悩んでいる時間がもったいない。
やらない理由がない。
そんな感じだったらしい。
残りの砂が見えていない人は、どうなんだろうか。
もし、明日で砂が落ちきってしまうとわかったら、今日をどうやって生きるのだろうか。
それは砂が落ちきってしまうと知らないときと、違う今日にしようとするのだろうか。
とりあえず、大好きな人たちと美味しいものを食べて、お酒を飲んで、楽しく過ごしたいな。
美味しいと楽しいが、いつだってわたしにとっては正義なのだ。