【百年ニュース】1921(大正10)5月31日(火) 原敬首相が上京中の山県有朋を訪問(新椿山荘)。2月に狭心症を患い辞表を提出していた田中義一陸相の後任人事につき相談。田中陸相の推薦通り,田中直属の陸軍次官,山梨半造中将を内定。翌年山梨は陸軍史上初の軍縮(山梨軍縮)を実行。
原敬首相が上京中の山県有朋を新椿山荘に訪問しました。2月に狭心症を患い辞表を提出していた田中義一陸相の後任人事について二人は相談し,田中の推薦通り山梨半造中将を後任に内定しました。陸軍大臣となった山梨は翌年陸軍史上初の軍縮となる、いわゆる「山梨軍縮」を実行しました。
5月31日 (原敬が山県有朋を訪問し語る*) 田中(義一陸軍大臣*)の後任は,田中(自身*)は現陸軍次官山梨半造然るべしと言う。余は陸軍にひと通り知りたる人は多きも,深くその性格を知れたる者なし。ゆえに判断に苦しむ。山梨にて如何のものにやと言いたるに,山県は自分も今は孫彦にもあたるようなる後輩のみにて,如何なる人物なるや知らざれば,田中の言うに任せて山梨然るべし。ただし山梨は一風流の男にて腹を立てやすき欠点あれども,さまでのことなかるべし。寺内(正毅*)も桂(太郎首相*)が陸軍大臣となすにおいて,同様の心配ありしも,実際やってみればさまでのこともなかりき。ゆえに山梨もあるいは同様ならん。とにかく山梨ならば事務上には連絡を欠くようなこともなく便利ならん,と言うにつき,余も同感を表し,近々沼津(御用邸*)に参内して(大正天皇に*)内奏すべく,また更迭発表は,田中に直接面談の上にて決定すべしと言いおきたり。
原奎一郎編『原敬日記 第五巻 首相時代』福村出版,1981年,394頁 〔*は引用者註〕
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