【Voicy】日本の原風景 #美しさを感じる瞬間(2021.10.4放送)
こんにちは、吉塚康一です。私は会社経営の傍ら近代史を研究し、「百年ニュース、毎日が100周年」という放送をお送りしています。本日はVoicy編集部が募集中の「#美しさを感じる瞬間」というテーマで放送を収録してみたいと思います。タイトルは「日本の原風景」です。よろしければ最後までお付き合いをお願いします。
私の故郷は新潟です。コロナウイルスの感染が拡大する以前は毎年必ずお盆と正月には帰省して、お墓参りをしておりました。ご先祖とともに、祖父、祖母、そして何より私の父が眠っておりますので、お墓参りを大切にしています。ところがこのコロナ禍のなか、1年半以上、新潟に戻ることが出来ませんでした。お墓参りが出来ないことを気にかけていましたが、この9月30日(木)で緊急事態宣言が全面解除になりましたので、早速10月1日(金)夕方から子供たちを連れて新潟に戻りまして、週末を新潟で過ごしまして、お墓参りもしてきました。
ちょうどこの10月1日(金)は、上越新幹線の2階建て車両のMAXのラストラン、最終走行ということだったんですが、時間の関係でMAX(E4系)には乗らずに、普通のE2系の車輛で帰りました。このE2系も2023年までには引退してE7系に統一されるということのようです。
さて上越新幹線で新潟に向かいますと、大清水トンネルと言いまして、22キロの長いトンネルを通ります。それ以外でも非常にトンネルが多くて、全体の半分はトンネルじゃないなかと思うような感じです。群馬県に入るとほとんどトンネルなんですが、長岡の手前で越後平野にはいると、パッと風景が開けます。川端康成の小説『雪国』の書き出しで「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」という一節がありますが、上越新幹線でも同じような感覚です。
ビルだらけの東京から新幹線に乗ってきて、トンネルを抜けて、突然この越後平野の雄大な田園風景を目にすると、本当に美しいなと感じます。私にとって、美しさを感じる瞬間、というのはこの上越新幹線のトンネルを抜けて越後平野を目の当たりにした、その瞬間です。越後平野というのは、ゆったり流れる信濃川、夕陽に輝く弥彦山と角田山。私は故郷に帰って来たなーと、懐かしい気持ちがこみ上げてくるわけですが、私の子供たち、東京生まれ東京育ちの子供たちも、やはり、この長いトンネルを抜けて田園風景が拡がった瞬間、やはり「わー!」という感じで、何かタイムスリップしたような感覚があるようです。
これは何だろうと感がると、やはりこの越後平野に代表される田園風景が、日本人の原風景なんだろうなと思うわけです。例えば童謡に登場するような風景ですね。スケールの大きな自然的景観に包まれた田んぼ、そしてお寺ですね、このような風景が、実は日本人の潜在意識のなかに深く刷り込まれていて、美しいと感じさせるのかなと思います。このような美しい日本の原風景が意味するところは、やはり「自然と人間の調和」あるいは「自然と共に生きる人間(そのような人間の生活)」というものを現しているのかなと考えています。
そして越後平野を走る上越新幹線なんですが、田んぼの真ん中にコンクリートで作られた橋が延々と続いているわけです。1971(昭和46)年に着工ということですから、今年50歳の私が生まれた年です。おそらくこの新幹線のコンクリート橋の建設が始まった当初は、越後平野の景観を破壊とまでは言いませんが、すくなくとも傷つけるものという考え方もあったと思います。しかし1982(昭和57)年11月に新潟と大宮間で実際に上越新幹線が開通しまして、生活の一部に馴染んて行くなかで、原風景に溶け込んでいった、という感覚があります。つまり田園風景の中を延々続くコンクリート橋も、美しいなと感じるわけです。これもどこか「自然と人間の調和」という文脈で、少しずつ日本の原風景の一部に入り込んで、馴染んでいっているのかも知れません。
ということで、本日は「日本の原風景」「#美しさを感じる瞬間」というタイトルでお送りいたしました。もしご参考になったのであれば大変嬉しいです。そして是非是非フォローを宜しくお願い致します。以上「100年ニュース」「毎日が100周年」吉塚康一でした。ご機嫌よう。
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