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【百年ニュース】1921(大正10)10月28日(金) 翻訳家の新庄哲夫が米国サンフランシスコにて誕生。本籍地の山口県岩国市に戻り青山学院英文科に進む。戦時中は東京新聞外報部で外務省を担当。1953『ケイン号の反乱』を皮切りに多くの翻訳を手掛ける。ジョージ・オーウェル『1984年』等。2006没,享年84。
翻訳家の新庄哲夫が米国サンフランシスコで誕生しました。本名は漢字がやや違い新庄哲雄といいました。日系米国人ではなく、本籍地を山口県岩国市もおく日本人でした。
青年期日本に帰国すると青山学院英文科(現在の青山学院大学文学部英米文学科)に進みました。青山学院は1874(明治7)年に米国ニューヨーク出身の女性伝道師ドーラ・E・スクーンメーカーが設立した女子小学校を源流としており、伝統的に英語教育に熱心であるため現在でも「英語の青山」と呼ばれています。
新庄哲夫は戦時中に東京新聞に入社し、外報部で外務省を担当しまし、また戦後はGHQを担当することで得意の英語を活かしました。1953(昭和28)年にハーマン・ウォーク著『ケイン号の反乱』を日本語に翻訳して出版するとベストセラーになりました。これを皮切りに多くの翻訳を手掛けることとなりました。東京新聞内でも昇進を重ね編者編集員となってコラムを執筆するなどしましたが、1968(昭和43)年に47歳で退社しました。
のち大妻女子大学短期大学部教授に就任しましたが、多くの翻訳書を手掛け、特にジョージ・オーウェル『1984年』は自身最大のベストセラーとなりました。2006年1月10日に没、享年は84歳でした。
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