
食べたほうがいいよと言われても、ならんでまでは食べたくない。
札幌で有名なラーメン屋で長時間ならんだことがあります。ならぶこと自体はもちろん好きではないので、避けたいのですが、どうしても食べたかったので仕方なくならびました。雪もチラホラと寒い時期でした。
1時間ほどならびつづけ、ようやく店内に着席できた。すごく楽しみだったので、できあがるのを楽しみに待っていた。
いざ食してみると、まったく大したことはない。感動するような食感の麺でもないし、飲み干したくなるようなスープでもなかった。
(なんだ、これのためにならんだのか?)
具材のキャベツも芯がそのままゴロっと入っていて、適当な仕事をしていると感じました。
あまりにも人気になり、仕事が雑になったという感じでしたが、寒い中ならんでいる人のことを考えると、このようなことはないはずなので、とても残念でした。
この件があってから、ならんでまで食べるということはどうでもよくなりました。
今でもならぶことは避けています。
でも、ならぶことを「自分のための鍛錬」と考えれば、ありかなと思えるようになりました。
世の中、いろんな人が、自分のスタイルで生きています。それを、自分と違うからということでイライラをつのらせたり、拒絶するようでは、ストレスをためることになるだけです。そうならないための練習だと、考えてみるのもいいのではないでしょうか。