映画・福田村事件 感想文
映画・福田村事件を観てきた。100年前の関東大震災時に、実際に起きた虐殺事件を題材に、当時の日本の社会を描いている。
映画表現としては、やや欲張りに盛ろうとしたのか、説明の多い脚本と人間ドラマを描こうとした演出が、上手く噛み合っていないように感じた。
おそらく、この民民虐殺を理解するには、当時の社会や出来事を複合的に知る必要があり、難しいテーマだったのだと思う。
主人公夫婦の夫が抱える過去に「提岩里教会事件」が語られる。当時の日本人の残虐行為と目撃者の沈黙が象徴される。
また、震災直後に東京の官憲が社会主義者等を虐殺した亀戸事件についても、平澤計七と女性記者の交友を通じて描かれる。ここでは、刑事が私服を着て流言を吹聴していたということも描かれる。
福田村で殺害される香川の薬売りの行商人たちは、被差別部落民という設定(このことは知らなかったが、研究組織のホームページにもそういう記述がある)で、水平社運動の始まりと行商人たちへの浸透が描かれており、おそらく最後に生き残った5名が口にするのは、水平社宣言ではないだろうか?
こんな当時の背景を詰め込みながら、兵役や日清日露戦争による男女の亀裂、情欲、退役軍人の横暴。ジブリの風立ちぬ的なラストシーン……情報量が多いのです。
全体を通じて描かれていることはシンプルだ。恐怖に慄く集団は、デマ流言を信じ込み、凶暴になる。そして、人を人として見ることを失い、そこに貼られたレッテルを恐れ恨み、虐殺行為まで行う。
関東大震災のときには、反政府主義者、朝鮮人というレッテルが井戸に毒を入れ暴徒となるという流言が、官憲を中心に全国的に流された。実に多くの人間が地震ではなく、人によって殺された。そういうことが、描かれた映画だ。
音楽は鈴木慶一氏。彼がプロデュースした高田渡氏のアルバムのように、意表をつく音楽の差し込みが、全体をうまくまとめている。