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『オカマ』と云う名のプライド

 プロフィールにもある通り、ワタクシはゲイであります。ゲイにも色々なゲイがいるけれど、近い感じでいうと「おすぎとピーコ」あたりが、自分のカテゴリーには近いような気がする…といえば、なんとなく想像がつくのではないかと思われます。
 要するに女性的な言葉遣いや所作であります。(ゲイ業界ではこの立ち居振る舞いはモテないため、もちろん合コンの類に出席する際は男っぽさを演じる女優であります。)
 ワタクシの体型は「わがままマシュマロボディ」の持ち主なので、「ベイマックス」に似ているとよく言われます。また「瀬戸内寂聴」と「大沢あかね」に似ているとよく言われるので、おすぎとピーコとベイマックスと瀬戸内寂聴と大沢あかねをフュージョンしていただけると、なんとなくワタクシに近いものが出来上がるのではないか…と思う次第であります。想像してみて♪(混ぜるな危険)
 「オカマ」で「デブ」という要素に加え、最近では「おじさん」という要素が加わってしまったため「オカマ」で「デブ」の「おじさん」という三重苦で令和を生きております。これに「ハゲ」が加わらないように、夜な夜な「私を置いていかないでっ!」と、中島みゆき気分で育毛剤を頭皮につけている日々ですが、どんどん頭髪がなくなっていく今日この頃です。嗚呼、世知辛い。

 さて、女性的な言葉遣いや所作をする男性をかつては「オカマ」と呼びました。しかしながら昨今、差別をなくそうという動きから、色々な配慮がなされた結果「オカマ」という言葉は「差別用語」となり、なかなか使いずらくなってしまいました。
 確かに、異性愛者から「おい、オカマ!」とか言われたら、ムッとなるし、異性愛者の友達が誰かにワタクシを紹介する時に「彼はオカマちゃんなの♪」とか言われるとイラっとすることも事実なのだけれど、自分を表現する時に「ゲイ」よりも「オカマ」の方がしっくりくる感じがするのであります。

 ワタクシは生まれながらにして女性的だったので、小学校時代は「やーい!オカマ!オカマ!」などと言われ、学校の帰り道に石を投げられたこともあります。大人になるまでは「オカマ」と言われることに対して嫌悪感があったことも事実であります。「オカマ」と言われること…というよりは、女性的な自分に対して嫌悪感があった…という感じでありました。
 当事者で同じような経験をしたから人の中には、そのつらい経験から「オカマ」というワードを聞いて不快になる人がいるのではないのかな?ということも理解できる次第であります。
 しかしながら、今は「オカマ」であることが、一つのプライドになっている現状であります。
 自分のアイデンティティに迷って、ゲイにまつわる本を読み漁ったり、映画を見まくったり(映画に関しては男の裸が見たくて…という理由もあったが。)していた中で二十歳くらいの時に『プリシラ』という映画に出会った次第であります。
 三人のドラァッグクイーンが旅をする話で、旅の途中にはヘイトに遭遇することなんかもありつつ、でも最後まで観た時に思ったのは
「オカマってカッコいいじゃん!」
…ということでありました。
(さらにこの後に「キンキーブーツ」という映画にも出会って、さらに自分がオカマであることに対する嫌悪感はなくなっていった次第であります。)

 ワタクシにとって、ヘイトや嘲笑、そして自分が「オカマ」であると認めたくなかった自分自身と闘ってきた証が「オカマ」という言葉なのであります。だから「オカマ」という言葉にプライドを持っていたりもするわけです。

 多分、この先、この言葉は呪いの言葉として封印されてしまうのでしょう。でも、そうやって封印されてしまうことも含めて「オカマ」らしいという気もします。
 ある時代では嘲笑やヘイトの対象となり、そしてある時代ではエンターテイメントとして一世を風靡し、そしてある時代では腫物として封印される。
 きっとこの先、あまり不用意に言わないように気をつけなくてはならなくなると思うので、そのギリギリの今、もしかしたら現時点でも既にアウトなワードなのかもしれないけれど、この気持ちを残したく思った次第であります。

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