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デス・バイ・パワーポイント:そのスライドは世界を滅ぼす



はじめに

今日は「デス・バイ・パワーポイント」という社会現象についてお話ししたいと思います。これを知らない方は幸せ者です。あなたの職場にはまだ希望があります。しかし、会議室で週に3回以上これを目撃している方。申し訳ありませんが、あなたはもう手遅れです。この現象は、単なる退屈を生み出すものではありません。むしろ、近代的な職場における「文明的暴力」の象徴なのです。

スライドショーという公開処刑

まず、この恐怖体験を思い出してください。とある月曜の朝9時、あなたは会議室に座り、プロジェクターに目をやります。そこには、フォントサイズ8で書かれた「今期の業績予測」。そう、最初の一撃です。聴衆はまだ元気ですが、次に進むスライド2枚目、そこでカラフルな棒グラフと無数の矢印があなたを襲います。「このデータは重要です」と発表者は言いますが、その矢印がどこを指しているのかは誰にも分かりません。

さらに、スライド5枚目でついに精神的限界を迎えます。画面上に登場するのは、テキストを無理やり詰め込んだ図表。発表者の解説は「ここ、重要なんで」と繰り返すだけ。いや、全然分からない。脳は悲鳴を上げ、後ろの席の人がスマホで何を見ているかのほうが気になり始めます。そして15枚目で完全に心が折れる。「今すぐこの部屋から逃げたい」という本能に逆らうのは、ほぼ不可能です。

なぜ人は「殺人スライド」を作るのか?

ここで疑問が浮かびます。「なぜこんなスライドが量産されるのか?」答えは簡単です。人は「責任逃れ」と「自己満足」のためにスライドを作るのです。発表者にとって、スライドは免罪符。どんなに中身が空っぽでも、「これだけ作ったんだから大丈夫だろう」と自己弁護できる。さらに、データやグラフを詰め込むことで「自分は仕事をしている」と周囲にアピールする道具にするのです。

また、我々が生きるこの世界では、「内容」よりも「見た目」が重視される文化があります。「資料が立派に見えればそれで良し」という風潮が、あの悲劇を加速させています。そしてスライド作成者たちは、「これだけ詰め込んだから、きっと評価される」と信じて疑わないのです。結果、無数の犠牲者(聴衆)が生まれるわけです。

社会的背景:働き方とスライド地獄の関係

この「デス・バイ・パワーポイント」の背景には、現代の働き方が密接に絡んでいます。例えば、「形だけ整えれば評価される」という成果主義の弊害。また、会議文化そのものの問題。「会議をたくさんやれば仕事をしているように見える」という奇妙な錯覚が、スライド地獄を量産しているのです。さらに、働きすぎの文化が「スライドを作ること=仕事の一部」という錯覚を生んでいるのも否定できません。

聴衆の復讐:スライドを作る人へ

ただし、忘れてはいけないのは、聴衆もただの犠牲者ではないということです。彼らは、一見眠っているように見えますが、実は脳内で復讐計画を練っています。「このプレゼン作ったの誰だ?次回は絶対に倍返ししてやる」と。その結果、次の会議では、さらにひどいスライドが登場するという悪循環が生まれるのです。まさにスライド戦争。全員が加害者であり被害者です。

救済への道:スライドを削る勇気を持て

では、この悪夢から抜け出す方法はあるのでしょうか?答えはYESです。そして、その鍵は「削る勇気」にあります。スライドは必ずしも多ければ良いというわけではありません。むしろ、少ないほうが効果的です。言葉に力を持たせるためには、余計な文字やグラフを捨てることが必要です。そして何よりも、「本当にこのスライドが必要か?」を考えること。それだけで、プレゼンは生まれ変わります。

結論:命を奪うスライドを葬れ

最後に、全てのスライド作成者に伝えたいことがあります。「殺意を持ってスライドを作るのをやめろ」と。あなたが削った箇条書きの分だけ、聴衆の命が延びるのです。そしてあなた自身も、プレゼン後の復讐劇に巻き込まれなくて済みます。

どうか次のプレゼンでは、スライドではなく、言葉の力で勝負してみてください。それが、世界を少しだけ平和にする第一歩です。

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