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【3月16日】植松死刑囚

植松死刑囚が死刑判決を受けて、もう一年になる。
彼は今頃拘置所で悠々自適に過ごしているのだろうか。

植松死刑囚は神奈川県相模原市の知的障害者入所施設の元職員だった。その施設で19人の知的障害者を殺害した。

彼の公判での発言やインタビュー記事を参照する限り、彼の考えは浅く、思想的な犯行とはとても思えない。
彼は事件の直前まで大麻の常習者だったらしいから、その影響もあるかもしれない。生育歴や生活環境、取り巻く人の影響とかもあったかもしれない。自己愛性パーソナリティ障害との診断も頷ける。
彼の生育歴はほとんど語られていない。

植松死刑囚の発言の中で、「障害者のために多額のお金が使われている」といった内容のものがあったと思う。
日本の社会保障費は、先進国ではかなり少ないほうだ。
感覚でものを言っている。
でも、その気持ちはわかる。
私にも非正規の時代やニートの時代がありました(笑)
その頃、なけなしの給料から税金や保険料、年金なんかががごっそり取られて、それが自分には一切還元されていない感覚はあったからだ。

社会から大切にされていない、もっと言えば社会から抹殺されている若者。未来に希望が見いだせない若者。社会の中ではちっぽけな、とても弱い存在の。
彼らがさらに弱いものを見つけて叩く。日常的な光景。

社会福祉の恩恵を授かるべきなのは、生き苦しい人、弱い人全員であって、「障害者」とか「高齢者」とかのレッテルのある人だけではない。

生産性や能力的なものに価値をおく考えが、まだ日本でははびこっているようだ。学校からしてそうだ。
そうした価値観でいくと、障害者は生きる価値がないとされ、そうなると、高齢者、病人、と続き、IQの低い人、体力のない人、と次々に「生きる価値がない人」が増え、最終的には誰もが「生きる価値がない人」になる。

むしろ、誰もが生きる価値のある存在だと認めて、全ての人が幸せを感じられる世の中を作る方向にいったほうが、皆さんうまくやっていけるのではなかろうか。

弱肉強食。
自己責任。
働かざる者食うべからず。

そんなことを言う人に限って、実は大きな不安や劣等感、ストレスを抱えて生きているのではなかろうか。

植松死刑囚を死刑にしてオシマイではだめだ。
日本人の価値観が根本的に変わらないといけない。


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