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海外出張エンジニアがジャカルタでバドミントンをする(2014年、2023年)その3
ジャカルタでは週2~3回バドミントンをしていた。私の人生で一番密度の濃いバドミントンライフは大学2~3年生の頃と、この時である。週3というのは、土曜朝のPasar Inpress、土曜午後の日本人会、日曜朝のバドミントン、という感じ。ここでは、日本人会のバドミントンを紹介しておきたい。
ジャカルタのような日系企業駐在員が伝統的に多いところでは、日本人会が非常に充実している。2014年のジャカルタ駐在の前に、ブルガリア、ルーマニアの駐在経験があり、ルーマニアでは日本人会会長職も務めたが、ジャカルタでの日本人会の規模の大きさに驚いた。日本人会はJJC(Jakarta Japan Club)と言う名称であり、私は現地入りして早々日本人会に入会し、案内を見てバドミントン部があることを知り、Facebook上で部の活動状況を知ったので、直メッセで「今日練習参加していいですかぁ?」って入れて、活動場所を訪れることにした。ちなみに、日本人会の盛んなところは、バンコク、シンガポール、ジャカルタ辺りと、欧州はデュッセルドルフだそう(米国、中国はよく知らない)。
JJCバドミントン部の活動場所は、日本人学校の体育館だった。2012〜13年に駐在していたルーマニアでは家族帯同で、子供をブカレスト日本人学校に入れていたので、日本人学校というのは、ブカレスト日本人学校の児童生徒教員を入れて30人程度のこじんまりとした存在が普通だと思っていたが、ジャカルタ日本人学校は小学校・中学校合わせて2000人の児童生徒がいて、校舎も日本風で、関連施設もやたら立派なマンモス私立学校だった。ジャカルタの南西部郊外にあって、中心部から渋滞がなくても30分くらい掛かる。私は、交通計画者wとして、ホテルから市内主要鉄道駅であるタナアバンまでOjecで行き、タナアバンからスルポン線で30分くらい掛けて最寄り駅まで行き、最寄り駅からOjecで学校まで行く、というマルチモーダル通学wを貫いた。最寄り駅でのOjecは3,4回行くとドライバーに顔を覚えられたので、毎回同じOjecに連れて行ってもらった。土曜は、午前中にPasar Inpressの練習に行って、一旦ホテルに戻り、着替えて、昼飯もそこそこで日本人学校に行くと言うルーティンとなっていた。
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JJCバドミントン部の人数は総勢40人くらい居たと思う。とても活動が盛んで、競技志向、インターハイで有名な高校出身や元実業団の人間も2、3人いて、レベルが高かった。また、土曜日の午後に練習して、そのままBlokMに雪崩れ込んで飲み会をするのも楽しかった。私が平日にストレスなく仕事を続けられたのは、この日本人会のバドミントン仲間に支えられていたからだ。初回の参加時には、丁度古株の方の帰国お別れ会と重なっていたが、初体面にも関わらず誘っていただいて、まだ何もわからないジャカルタの日本人社会について色々と教えてもらった。地域クラブとの定期交流もやっていて、丁度、日本人会のジャカルタ祭りの季節に合わせて、現地人が40人くらいいるクラブ(ジャバベカという名前だったと思う)と丸一日掛けて交流戦やトーナメント戦をやって親睦を深めていた。JJCバドミントン部のエース2人がトーナメントで決勝まで行って、インドネシア人2人のペアに競り勝ったのをよく覚えている。私はマイクを付けて主審をやらせてもらったが、総勢100人程度の日本人、インドネシア人のギャラリーが見守る熱いゲームを仕切れてとても楽しかった。
JJC日本人会は、インドネシア全国組織でもあり、スラバヤ支部、バリ支部があって、3都市対抗体育大会というのを毎年バリでやっていた。2002年頃にバリのディスコでテロ事件があった以降観光需要が低迷していたため、地元経済に貢献しようという発案から始まったもので、バドミントンも競技の一種目であり、私もバドミントンをやるためにバリ・デンパサールに一泊二日の小旅行をした。
たまに日本人学校の体育館が使えないときがあって、その場合は外部の体育館を探したが、伝説のプレーヤーであるTaufik Hidayat記念バドミントン専用コートが丁度開業したのを聞いて、そこでも何回か練習した。
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丁度、東南アジアの日本人会同士での対抗大会が開催され始めた頃で、JJCバドミントン部でも主要メンバーが集まってバンコク開催の対抗大会に参加していた。バンコクやKL、シンガポールなど複数の都市で駐在し、日本人会のバドミントン部を渡り歩いた人たちが連絡し合って準備された大会で、海外駐在のエコシステムがどんどん拡大していルことを実感した。マニラ、デリーや台湾からも参加があったようだ。丁度私は帰国のタイミングと重なってしまったため参加出来ず残念であった。
JJCの中で元気な人は、日曜の午前中に交流のある現地クラブに飛び込みで練習しに行った。ここは21点ラリーポイントでやっていたのか、30点サーブ権ありでやっていたのかはよく覚えていないが、Pasar Inpressのコートとはまた違った現地人相手にするのは楽しい刺激だった。土曜午前、土曜午後、日曜午前と練習して、昼間に帰宅して、ホテルで洗濯機を回してビールを飲みながらストレッチをする(そして、そのまま寝てしまい、よく洗濯機の取り忘れについて苦情を言われた)、という充実した週末を送っていたのをよく覚えている。
2023年にジャカルタでの地下鉄計画業務がもらえて、2週間程度、4~5回の滞在機会が得られたため、久し振りにJJCバドミントン部に参加することとした。驚いたことに、もう既に郊外の日本人学校での練習会は行っておらず、場所を変えて市内のバドミントン専用体育館(6コートくらいある専用コート)でやっていた。立派な日本人学校の校舎がみられなかったのは残念だったが、新しい会場はホテルから車で5分のところであり、ローカルのボロボロのミニバス(Angkot)を使っても行けたので、大変便利になった。だいたい4,5回お邪魔させてもらったが10年前のメンバーが2,3人残っていて、気軽に声を掛けてくれてとても有り難かったし、現メンバーの皆さんも寛大で、10年ぶりのゲスト参加も喜んで受け入れてくれた。
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2014年当時のジャカルタは日系の自動車産業の集積地であり、タイの洪水の影響を受けジャカルタでの生産を拡大させていた。また、ユニクロ関連の縫製産業も伸びていた。多くの駐在者はこれらの民間企業派遣だった。私自身は公的セクターの業務が多いため、民間の製造業の方々と知り合う機会が増えたのもJJCバドミントン部に入った収穫だったと思う。
現地観戦
丁度、駐在していた2014年は日本代表男子がトマス杯(ニューデリーでの開催)で優勝した年で、僕は日曜夕方の市内のフードコートで、マレーシア対日本の決勝戦を一人静かに見ていた。桃田がS2で全勝し、田児ケンが準決勝中国戦でチェンロンに勝った時だ。
ジャカルタではBWFの大きい試合が年二回開催されるので、観戦もしやすい恵まれたところである。
この年は、田児ケンが元気で、6月のジャカルタオープンは6日の日程のうち3日見に行った。金曜夕方のしごと終わりにBRTに乗って一人で見に行き、土曜はJJCのメンバーを誘って6時くらいから会場入りし、田児ケンがリーチョンウェイに勝利したあの試合をコート脇で見た。翌日、ヨルゲンセンとの決勝はJJCのメンバー10人で最前列を占拠して、インドネシア人も巻き込んだ田児コールを展開したが、残念ながら田児は準優勝に終わった(この辺りから彼は不調になっていくのであるが)。この時のMDは、韓国イヨンデ・ユーヨンソンと地元ダディーズ(当時はまだダディーズとは呼ばれていない、アーサン・セティアワンのインドネシアペア)の決勝戦で、韓国ペアが勝ったが、イヨンデの人気が凄く、インドネシア人女性の半分はヨンデを見に来ているのか、と思った。ヨンデがコート脇で着替えるためにシャツを脱いだ瞬間、ゲロラブンカルノは黄色い叫び声であふれかえった。
そういえば、Visa取得のため1日シンガポールに行かなければならず、偶々シンガポール・オープンと重なったため、帰国の飛行機の時間まで2,3時間見に行った。丁度Sports Complex Hubの建て替え時期に重なっていて、周りが色々と整備中だった程度しか覚えていない。
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ちなみに2023年の渡航時は、偶然にも4回の渡航のうち2回がインドネシアマスターズとジャカルタオープンに重なることになったため、仕事を早く切り上げたり近くでの打合せを入れたりして、聖地ゲロラ・ブンカルノに詰めるのであった。いつもならダフ屋から買うんだけど、JJCバドミントン部の中に熱心な人が居て、朝に並んで私の分のチケット確保してくれていたので大変助かりました。相変わらず満員、女性ファンが結構多い。
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