見出し画像

本音泥棒

二十歳の時、池袋北口のラブホテルで握りしめた掌を思う。

「どうか、あなたの思う道を進んで欲しい」

あの時の言葉に、今も嘘は無い。


最初のデリヘル嬢をしていた店を辞めた後。三人だけ、付き合いのあるお客さんが居た。今はもう、連絡先は知らない。個性豊かだったなと思う。旅好きの沖縄人に、アナル好きの社長さん、そして、鉄道関係で働く国家公務員。

当時学生だった私は、社会というものをまだ知らなかった。その厳しさも、守るべきものも。だからこそ、今以上に強くそして真っ直ぐに話せたのだと思う。

公務員の彼とは2,3ヶ月に1度くらいの頻度で会っていた気がする。爽やかで、けれどどこか窶れていて、気遣いの出来る人だった。近くのファミリマートで2人分の昼ご飯を買って、いつものラブホテルに入るのが常だった。

お風呂を溜めつつ、各々の買った弁当を温めて食しつつ、近況を語り合う時間が好きだった。彼はいつも仕事の事を話した。愚痴、と言う程醜い聞にくい物ではなかった。ただ、彼が今の仕事に納得していないのは、何も分からない私でも理解出来た。

現場に居た頃の方が楽しかったんだ、偉くなんかなりたくなかった、あっちに頭を下げこっちに気を遣うよりも、何も考えずに線路を走っている方が性に合っている、と彼は言っていた。
じゃあ、戻ったらいいじゃないですか。私は条件反射のように答えた。例えお給料が減ってしまっても、それでも、〇〇さんが楽しく仕事をしている方が私嬉しいです。だって今、目の下に隈が出来ているし、好きでついた仕事なら尚更、自分の気持ちに嘘ついたらいけないと思うんです。


風呂が溜まると互いに体を洗って、そしていつも通りベッドに横たわった。喘いで、体を反らせ、射精して、しばらくのピロートーク。そこでも重ねたように思う、貴方らしく居て欲しいなというような言葉を。今思えば、それは逆に彼を追い詰める事になっていたかもしれないと胸が痛む。痛むけれど、気遣って何も言わずにおいたら今あっただろう胸のつかえよりは余程良い。

確か、最後になるだろうという日、目隠しを条件に彼は携帯電話のビデオを起動した。そのくらい、当時の私にとっては安いものだった。彼を信頼しきっていたし、彼もそうだったと思う。仮にその動画が何処かに流れたところで何も失う物はない。彼が言葉通りオカズにしてくれたなら、そして理不尽にも負けず翌日出勤する活力になれたなら、それでいいのだ。その為のこの仕事だと思っている。


もうあれから何年経ったか数えるのも億劫だが、願わくば、思い出した時にふとその動画を片手に、もう片手で何かを慰めてくれたなら。

とはいえ、時代はスマホになった。データの移行は面倒だ。パートナーが出来たとしたら尚更。きっとあのデータはもう何処にもない。私が彼の連絡先をいつしか失っていたように。それでも仕事は続くし世界は回るし翻弄されるものは多い。多い中で、ふと自分の言葉を思い出す。

「自分の気持ちに嘘をついたらいけないと思うんです」

出勤前に飲むコーヒー。ごちそうさまです。