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[1] 「平成日本の幕末現象」


はじめに


「落合莞爾氏」が、バブル崩壊前の1989年に著した『平成日本の幕末現象』を紹介する。
1989年といえば、日本が空前の好景気に沸いて、明日は、今日よりもさらに良くなる。と思われていた時代である。本書は、そのような時代背景の中、冷静に現実を見つめ、透徹した洞察眼で、日本の現状を江戸幕末期と照らし合わせて記した「落合史観」の原点とも呼べる作品となっている。
私が本書を、今のタイミングで紹介しようと決心した背景をまず最初に述べたいと思う。
この書籍は正に今、多くの日本人が知らなければならない内容が多分に含まれている、大変貴重な書籍である。
にも関わらず、一般市場ではほぼ入手困難な状況になっているために、この本を手に取れないという方にお届けしたいと思ったことと、この内容を埋もれさせてはもったいない、との思いで、そのエッセンスだけでも紹介できたらなと、思ったことがきっかけである。ここから購入できます
さらに最近著者は、平成の30年間は「幕末」とも捉えられるような時代であった。と述べていた。
そうなると、正に「平成日本の幕末現象」が、今だに継続中と解釈することもできるので、これからの日本、および世界情勢を読み解く上でも、大変有用であるとも考えられるわけである。

著者は常々、「歴史は『アナロジー』『相似象』の形をとる」と言っており、本書の内容は、本書の書かれた昭和末年から平成元年を、江戸の幕末との相似像として様々な例を用いて書かれている、極めて示唆に富んだ内容となっている。

 そこで、最初に申し上げておかなければならないこととして、この書籍を紹介するにあたり、30数年の月日の経過から生じた世の中の変化を考慮して、あえて述べない部分がある。ということをご容赦いただきたい。
と思うとともに、著者の研究内容は日進月歩で進化していることもあり、また私の理解が足らずに、誤解を与えてしまいそうな箇所に関しては意図的に外して紹介することとする。

「日進月歩」の言葉が出てきたので、ここで一旦話題が外れることになるが、最近、著者に対してエビデンスないし、出典を求めるなどという方がいると聞いているが、そのような方に対してこう申し上げておきたい。物理、化学、数学等多くの自然科学を基礎とする総合科学である「医学」においてさえも、10年前の医療技術と現在の医療技術が違うように、常に情報や技術は日進月歩しているものだから、エビデンスなどというものに重きを置きすぎると様々見誤ることになる。
僕は以前、製薬会社で働いている時に、「Evidence based medicine」を強調するような社内教育をされていたが、営業活動を通して、そもそもエビデンスの取り方に問題があると気づいていたので、二言目には「エビデンス」を要求する風潮に、いかがわしいものを感じていた。
むしろエビデンスなるものが仮にあったとしても、それに満足して、それ以上思考しなくなってしまうことの方が害悪となりはしないか? 過去のエビデンスによって論文を書いた人間が学会で評価された場合に、新たな発見(エビデンス)を認めようとしない圧力がかかる事の方を危惧するのである。それは未だに佐伯祐三個人の描いた本物の絵が、世に出回らないこととも繋がる。
だからこそ『洞察』という特殊な作業が必要になり、また、それを実践できる人間は限られてくるのである。故に、エビデンスを求めることは、自らの脳みそで洞察することができない人間が、手っ取り早く自らを納得させるものとして、エビデンスを要求しているに過ぎないのではないか。

さらに、本書の297ページ書かれている内容を、最初のこの段階で、あえて記載する。
『日本がアメリカの膝下から這い出るときの、世界に向けての今後の方向を定めようとする時の、究極の指針は、日本歴史の正しい認識であり、これを得るための方法論は新「国学」(僕個人の考えでは落合史観)をおいてない。それは歴史現象の背後に潜む本質を洞察力により導き出し、その証拠を遺物はもとより、口碑、伝説にまで入って総合的に検証しようとする立場である。この分野に富裕な経済人の援助が望まれる。』
と書かれている。
最後の部分に関しては、僕も強く同意するところである。
今述べた、「その証拠を遺物はもとより、口碑、伝説にまで入って総合的に検証しようとする」の部分については、今後、国際政治上問題になるかもしれない、我が日本国における、少数民族問題を研究する上で、非常に重要になってくると、僕自身は考えている。

著者は、本書、「平成日本の幕末現象」を33年前に著わしたが、最近の著者のブログ「note白頭狸」を拝読すると、幕末現象はタイミング的にはまだ時期尚早だったようで、(著者の言葉を借りると、歴史的必然性たる天の時)ではなかったようで、実は現在の「令和日本」において幕末現象たる「大政奉還」を想起させるようなものを感じておられるようである。

「迷いが生じたときには原点に帰る。個人にせよ国家にせよ、どのような道筋を経て現在に至るのかの連続性を途切れさせては見誤る」とは舎人さんの言葉を僕なりに解釈したものであるが、歴史の重要性を改めて認識させられる言葉である。
また、元ウクライナ大使の馬淵澄夫閣下も「復古」ということばを何度か口にしておられる。
抜粋すると、「国難の時代にあって、我々日本人が心の拠り所を求めるのは、復古の精神である。言い換えれば我々の原点に戻るということ」
と述べておられて、その本質は落合莞爾先生や舎人さんの述べていることと相違ないと思われる。

以上、本書を紹介する「理由」を述べてきたので、本書の内容に移る。

幕政原理

 結論を最初に述べると、「我が国の統治の根本原則は『幕政原理』であり、われわれは『戦後体制』という幕政の下で生きている」
その「戦後体制」とは、アメリカ支配層を幕府、在日米軍を幕府軍とし、自民党を執政機関とし、当時は社会党を文化宣伝機関とする「マッカーサー幕府」体制である。としている。(『マッカーサー』は認識しやすいように便宜上使用)
そして、自民党を「政所」とする戦後体制の命脈は尽きたので、我々は進んで新しい政治体制を確立せねばならない。「マッカーサー律令」たる「日本国憲法」を改正する必要性も生じている。
 古来、自ら改憲する『権力』はないから、新しい政治勢力が進んで、「物理力」で、これを打倒しなければこれは実現できない。
その要点は「在日米軍の撤退」に尽きる。と最初に喝破している。
では、「幕政原理」とはなんですか?ということだが、一言で言えば、「日本の国家統治の方法として、統治機能を『宗教的権威』と『現実的政務』に分け、前者、宗教的権威』は『万世一系の天皇』に属し、天皇がその時々の覇者に実務的政務を担当させる、という構造を言う。
天皇は決して親政をしないで政務を覇者に委ねるからこそ、万世一系が保証されているのである。
覇者の資格は何をおいても、まず『武力』。いまなら観念を広げて物理力。によって、前政権を打倒することだが、その根本に旧幕府の綱領が朽廃(きゅうはい)しているという、歴史的必然性がなければならない。さらに時運に従い、旧幕府を打倒せよ、との勅令が出されるのもこうした時の慣例であった。
 天の時を占って、綱領を守れないと観念したとき、旧幕府は、倒幕勢力との小競り合いはともかく、本格的な物理衝突を避けて、一旦天皇に政権を返納する、「大政奉還」の形をとることによって、我が国は本格的な物理的衝突、内戦、を回避することができるのである。
この後、倒幕勢力間の淘汰が始まり、その中の覇者に、新幕府開設の勅命が降りることとなる。
こうして誕生する新幕府は、必ず新政権の基本的政治理念と国家目標を綱領に記載し、内外に明らかにしなければならない。
以上が「幕政原理」である。

統治の二元主義


古代社会に共通する普遍的な現象は「祭政一致」であるが、日本古来の政治的特色は「統治の二元主義」である。これは、国家統治の要素たる「権威」と「政治的執行」を分けて、それぞれ別の主体に担当させてきた。
大化の改新以前の大和朝廷の時代から、すでに統治の二元主義が成立しており、天皇は親政していなかった。

大化の改新は、列島開闢(かいびゃく)以来、外敵の侵入にさらされなかった我が国が、統一シナ帝国(隋)の誕生という、東アジアの風雲に備えようとした、政治的自律行為である。
具体的には、隋、唐の「律令制度」を取り入れて、国家体制を強化しようとしたものであった。
 我が国最初の「律令」は、天智天皇称制7年の近江令で、完成をみたのは文武天皇(もんむ)の時の「大宝律令」である。
このような輸入統治制度の下でも、祭祀王としての天皇は、一種の自然神として、その存在は超法規的なものとされ、祭祀を行う宗教的機能の他に、重大な政務については、決済する機能を有するものをされていた。
しかし問題は、律令と一緒に輸入された、シナ的な専制君主帝王観である。
このことは、我が国の、スメラミコトの観念とは相容れないものであり、大化の改新後の2世紀にわたり、朝廷をめぐって、血なまぐさい事件が多発する根本的原因は、ここにある。
 律令国家の、シナ的影響を消化した後、我が社会は、律令政治の変形である、摂関政治・院政を経て、源頼朝が鎌倉幕府を開設する。すなわち、中世封建制の樹立であり、「統治二元主義」の初めての法制的確立である。
これより後の室町時代、近世、近代、現在にいたるまで、なお、統治の二元主義を堅持していることこそ、我が国の政治伝統の特質といえる。
すなわち、天皇が国家民族の統合の象徴として、祭祀の中心におり、時々の幕府が国政を執るという統治のあり方こそ、我が国独特の政治的原理であり、著者はこれを「幕政原理」と呼んでいるわけである。

孔子の説く国家統治の本質


孔子は政治、いわゆる国家統治の本質について、次のように言われた。
「子貢、政を問う。子曰く、食を足らし、兵を足らし、民之を信ず」(論語)
政治とは食糧を備蓄して飢餓に備え、軍備を満たして外敵に備え、人民に体制を信頼せしめるものである。
これに照らすと、戦後約80年にわたる、日本国の運営とは、統治の三要素のうち「兵」を去った状態である。
日本の戦後体制と対比すれば、江戸幕政も明治幕政も国家統治性の実在は明確であった。

民の信


徳川家康は、その武力と現実的な政治能力により、戦乱に明け暮れた当時の国民共通の悲願であった、国内和平を達成した。家康が幕府を開設し得たのは、その平和への功績により、正当な資格を得たもので、これが徳川幕府の正統性の根源である。
徳川幕府に対する、「民之信」とは、国内和平と、それによりもたらされる国防、治安強化、および民生の向上を達成することにつなげられており、「関ヶ原の戦い」が、外来の一神教勢力との宗教戦争であったことから、鎖国政策とキリシタン禁制、社会変動を抑制するための「身分固定制度」を採用したことが、徳川260年の統治を可能たらしめたのである。
これらの政策は『禁中並びに公家諸法度』『武家諸法度』などのかたちで、江戸幕府体制を支えていたが、幕末におとずれた「開国」とは、鎖国を定めた幕府の憲法に違反することとなる。この憲法は、幕府自ら定めたものであるが、その憲法に自ら進んで違反しなければならない事態がついに到来する。
幕府は直面した事態に本質的に対処できず、「開国の是非」に関して朝廷に前例のない「お伺い」を立てるが、この場合、朝廷にお伺いを立てたのは日本古来からの慣習憲法に、無意識に従ったに過ぎないのである。
「慣習憲法」とは潜在意識化している不文の慣習で、統治に関する日本民族の基本的共通認識である。法律構造上は、成文憲法の上位にある観念となっている。
このように、いったん幕府の権威が揺らぎ、政権の危機がおとずれたときには、必ず天皇の権威が浮上してくる。
幕末現象には、始める時は幕府が自発的にやったことを、天皇の権威を借りなければ止められないような状況が現れる。

大政奉還と武断政治


権力が自らの憲法を改正するには、大変な困難がつきまとうわけで、このことは、おそらく人間に備わった本能の法則と、人間がつくる社会の機構的必然に根ざすものであろう。したがって、「自改不能の原則」は「社会的法則」と言える。
このような法則を知っていたと見える徳川家康は「この天下が保たぬ時は、潔く諦めて朝廷に奉還せよ」と遺訓しておいたという。
現在、我が国を支配する在日米軍、横田幕府も、せめて徳川慶喜のごとく、最後には潔く大政奉還してもらいたいものである。
大政奉還が、自発的になされないのであれば、外部からそれを迫るモノが必然的に発生する。
そのモノの本質は、チカラの究極の形である物理的なチカラ。通常は兵力、武装勢力になる。
2・26事件の青年将校たちの行動原理は、自浄能力の備わっていない、俗世の政治家や資本家を兵諌(へいかん)して、どうにも実行できない政治改革を促すという、国軍のかくれた機能が引き出されてきたものである。
その引き出すものは、いわば「社会」なのではないだろうか。
僕が思うに、当時の軍隊は農家の次男坊などが多く、郷里の農村の窮乏を訴えるものが多かったという。加えて、そのような国民を顧みない、資本家や政治家がいたずらに貧富の格差が広がるのを放置した結果として、血盟団事件や515事件が起こったように思える。
もちろん、軍人の政治不介入は大原則である。この理想と現実とは、いかに調和するのか。これは「社会に政治動乱が生じた時、国軍がレフェリー的に登場して、選挙、憲法改正を管理する」と観るべきであろう。
石原莞爾は、20世紀の世界に傑出する思想家である。すぐれた思想や芸術はその同時代には評価されず、半世紀ほど遅れて世に浮かび出てくるものである。(この点に関しては、落合莞爾氏もまた然りと言える。)
その『最終戦争論』に見るように、文明国間の戦争はもはや絶滅している。国家紛争解決の手段としては、軍隊はもはや役に立たない。それにも関わらず、なお近代国家に「国軍」が存在している理由は、国民の潜在意識の中に、暗にこうした政治的機能を期待しているのではないだろうか。

奉還された統治権は、天皇の名において次の覇者に与えられる訳だが、覇権を握っても、新設幕府の綱領が整わないうちは、覇者は超法規的に政治を運営しなければならない。これは一種の「戒厳政治」である。
孫子の兵法書「九変」(千変万化)の章に「君命受けざる所あり」とあるように、古来用兵の実際においては、「将軍は皇帝の命令にも服さない」とされている。
この将軍の専断権が、民生にまで拡張して適用されることが、幕府権力の法律的構成となる。

ところで、あらゆる社会体制は、変動循環する。という見方があり、これを「歴史循環論」と言う。
その代表的な論者である、プラバート・サーカーは、このような時代を武士、ないし、軍人の時代と呼んでいる。
武断的政治はこの時代に特有なものなのである。

僕は、もうすでに武断政治が必要な時期に来ていると思う。

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