ケルト人と謎の古代人スキタイ(4)
ここで再びスキタイとそれに関わる種族を以下にまとめます。
<北東イラン語族の原型>
① スキタイ人
② イアジュゲス族(サルマティア人)
③ アラン人
イアジュゲス族の近縁者であるアラン人は、西ゴート族、ヴァンダル人、その他のゲルマン民族と共に5世紀初頭、ガリアとイベリア半島における小規模な包領に定住していました。その際に彼らは、北東イランの大草原地帯に共通する叙事詩伝説を独自に発展させたものを持ち込んだのです。
そして南ガリアの「ロット地方」は、アラン人の活躍及び権力の中心地でした。
というのも、ローマ人は最初の頃からアラン人という「同盟者」に地方行政を一任していたからです。
アーサー王伝説において、アーサー王の次に有名な登場人物は、円卓の騎士の「ランスロット: Lancelot」です。アーサー王伝説の騎士の中でも、最も優れた騎士であるランスロットは、Lance á Lot と分析されていて槍(ランス)と結び付けられていました。
ところが、ある研究者が、(A)lan(u)s á Lot すなわち「ロットのアラン人」という通り名に由来するのではないかと提唱するようになり、アーサー王伝説の北東イラン起源説に信憑性が増してきました。ランスロットはアーサー以上にナルト叙事詩のバトラズとの共通点があり、馬術と荷車が強調されているランスロット伝承群は、「ケルト的」というよりも大草原地帯を思わせるものでした。
アラン人は「背が高くハンサムで、髪はブロンドが多い」と言われており、他の北東イラン語族と同様に、彼らは常に馬で移動し、一夫多妻制をとり、人生の大半を荷車や荷馬車に乗って過ごしたと考えられています。
荷馬車の中で子を成し、生まれ、育てられる。荷馬車は彼らの恒久の住居であり。どこへ行こうと、彼らはその場所を自分たちの本当の故郷と見做す、とされているのでした。
ここでもう一つ、ナルト叙事詩とアーサー王伝説の中に近似するエピソードを紹介します。
ナルトたちはナルトの啓示者と言われる、「ナルタモンガ」という不思議な酒盃(大釜)を持っていました。この酒盃はナルト達が一堂に会する神聖な宴会の席において、次のような奇跡を行ないました。
この酒宴の席で、ナルト達は次々に立ち上がって手柄話を語り、その折に、もし語られた武功が真実であれば、「ナルタモンガ」は自ら空中に浮かび上がって、話し手の口に美酒を運びます。しかしもし、ナルトの語った手柄話が虚偽であった場合は、この酒盃の奇跡は起こらず、話し手は満座の中で恥をかかされるのです。
叙事詩ではナルタモンガを守護することは名誉あることとされ、誰がこの栄光を得るかで争いがあり、最大の武勇を誇るバトラズは、他のナルトたちを押しのけてナルタモンガの守護者になります。
一方アーサー王伝説においては、「聖杯伝説」として有名で、聖杯が突然円卓に出現し、酒や食べ物が現れて円卓の騎士たちに給せられます。また、騎士たちは聖杯探求の旅に出ますが、その過程でランスロットは自らが聖杯を得るにふさわしい人物ではないことを悟り、探索を諦めます。このような特徴はナルタモンガの伝説とよく一致していると言われます。
さらに、ヘロドトス『歴史』におけるスキタイの習俗を見てみると、スキュティアにおいて各地区の首長は、年に一度甕(かめ)の中に適量の水で割った酒を用意し、戦場で敵を討ち取った全てのスキュタイ人にこれを振る舞いましたが、その折に武功の無い者は、この酒宴の席で酒を味わうことを許されず、恥辱を忍んで離れた場所に座っていなければならなかったのです。
この年に一度のふるまい酒にあずかる資格のない者とされることは、スキュタイ人にとって最大の不名誉と考えられていました。
また、『歴史』には、スキタイ人が戦闘で殺した敵の首級の皮を剥ぎ取り、一種の手巾を作り、それを自分の乗馬の馬勒につけて誇る姿や、剥いだ皮を羊飼いの皮衣のように縫い合わせ、自分の身に着ける上衣までつくるものも少なくないとされています。
この話に非常によく似た話として、ナルト叙事詩の中では、しばしば英雄が殺した敵の頭皮を剥ぎ取り、これを材料にして女たちに外套を縫わせることが物語られています。
古事記も含め、神話などはメタファーとしての表現方法を度々採用していると思いますが、この「盃」に関する各地の逸話も、大変に神聖視されており、何か別のものを暗示する隠喩的表現であると考えられます。
ゾロアスター教の経典の「アヴェスター」の中でも、祭司と戦士と農民のそれぞれの「道具一式」が列挙された箇所で、祭祀用の道具の主な部分は、聖酒ハオマの盃をはじめとする、多くの盃によって占められています。
現在でも、推理小説の「ダヴィンチコード」で、聖杯がクローズアップされるのには、悠久の歴史が現在まで連綿とつながっていることを示唆しているように思えます。
実は円卓の伝説について、東方に起源を持ち、東から西に伝播したのだと提唱したのは、随分前の事なのですが、1170年にアラヌスという人物が「アーサーはおそらく『ブリタニ』(ウェールズ人とコーンウォール人)よりもむしろ、小アジアの人々によく知られている」とコメントしています。
現在の学者の中にも、アーサー王伝説及びその他の中世フランスの伝説の多くは、東方に起源を持つということを提唱している人もおりますが、クロスという人物は、聖杯の概念は「ペルシャとアフガニスタンの国境地方」に起源を持つと、具体的な場所にまで言及しています。
この記述を発見した時に、かつてメディア王国で宗教儀礼を司っていた祭司階級の「マギ」と繋がりましたが、この部分については、「戦略思想研究所」さんの有料コンテンツに衝撃的な事実が公開されておりますので、ご興味がある方はそちらを参照してみてください。