2024年7月6日東京思風塾『永遠のいのち個体的いのち』
今回の東京思風塾は思風先生復帰後の思風塾開催
いのちそのものの世界とは?
「感性論哲学では感性の揺らぎである」
感性の揺らぎを持ってあらゆるものにいのちを与えている。あらゆるものは一時の休みもなく変化し動き続けている姿を持って存在し続けている。海の水も一時の休みもなく波を打って揺らいでいるし、樹木も成長しているし、家そのものも古くなって壊れていくという、腐るといういのちの姿を呈する状態でもある。鉄も錆びるという変化があるし、宇宙そのものすら常に一時の休みもなく、変化し動き続けているというのが、我々の住む宇宙の根源的な姿である。
この一時の休みもなく、あらゆるものが常に変化している、動いている、これが感性を本質とするいのちというものの、生きている現実的な姿であって、そういう意味では、この宇宙そのものがいのちとはなんなのか?というものを物語ながら存在しているという風に、我々は受け止めなければならない。
個体的生命における人生というものを考える上で、大事なことは何か?
現実の我々の人生というものは、38億年間、いのちの中に積み重ねられてきた。遺伝子、遺伝情報というものが、この現実の中に姿形を持って、現れ出てくることで人生が築かれていく。顔も遺伝子に支配されているし、さまざまな出来事というものが、我々のいのちに内在する遺伝子の発現、現象として人生のさまざまな幸不幸が起こるという事実を見つめてみないといけない。これは親の因果が子の報いといい、父母の生き方が子供の人生に降りかかってくる。
単に親の因果というだけではなく、38億年間の祖先の生命たちの活動というものが、実際問題我々の遺伝子の中に残っているので、遺伝子の情報が人生の中で現象してきて、幸不幸な出来事を作っていたり、呼び起こしているということを考えなくてはならない。遺伝情報の顕現が我々の人生の基本的な道筋を先天的に決めてしまう。そういう構造にいのちはなっている。祖先の人たちが悪いことをしたならば、その報いは自分の人生の中で出てきて、我々は不幸な出来事に出会う。祖先の人たちが良いことをし、人に尽くすことをしていれば、その報いは人生に出てきて幸福に導かれる。こうした因果の遺伝子が働いている中で存在する。 仏教では業(ごう)という言い方をする。業というのは遺伝子のこと。どういう情報が遺伝子の中に記憶されているか、どういう遺伝子が残っていて、その遺伝子というものが、我々の生きている人生を支配するという構造になっている。そういう遺伝子の情報というものは、易学なんかでいうと手相、顔の相、体に存在する相として、遺伝子は表現される。
学問として成り立っている根拠を見ても、我々が生きているこの世と、自分のいのちの中に存在している遺伝子がどう関係しているかを知る必要がある。いのちの中に悪因があれば、現象として人生必ず出てくる。善なる因があれば、幸福の要因として出てくる。そこには、いのちのつながり、働きがある。ということは、完全に人生というものは過去に支配された決定論になるかというと、そう考えてはならない。50%は遺伝子によって決められているが、後の努力で変えることはできる。悪因があったならば、100年の中で他人に尽くす。 善なる行為というものを自分が積極的に果たして他人のために尽くす。その影響が自分の遺伝子の中に残っている悪因を打ち消す働きがある。
「罪業消滅」過去のいのちに内在する悪業を取り除き、それをゼロにして、祖先の魂を地獄から救い出して天国に送るという働きをする。遺伝子に自分の生き方を影響させて、反映させて、今の自分の人生が過去の悪い遺伝子に支配されることを取り除くことができる。職業とは、贖罪のための行為。仕事をすることを通して、自分のいのちの中に内在する祖先の罪を償うという、そういうことを我々はしていることを意識して、日々実践するということも、個体的生命の永遠の生命に対する関わり方の一つとして実践しなくてはならない。そういう生き方があることを覚えなくてはならない。これからの人類の生き方に関わる重要な教えであり、いのちの原理。自分の生き方によって過去を変えられる。よく過去は変えられないというが、今の自分の生き方によって過去を変えられる。過去の支配から解き放って、自分の思うように素晴らしい人生にしていくことが出来る。