思風先生の喜寿を祝う東京思風塾
次回の東京思風塾は特別版の形で6月末に
『思風先生の喜寿を寿ぐ記念例会』
そして6月1日は広島での全国大会
第1回は東京にて「風になる」
第2回は名古屋にて「共に学び、共に育つ」
第3回は大阪にて「つながる」
第4回東京「伝える力~限りなく広がる~」
第5回名古屋「四方満足の経営とは」
第6回東京「覚醒の時代」
毎年、全国大会においては、行徳先生と思風先生の講演、対談を見る中で
果たして自分がこれから40年、50年経った時に、これだけ力強く話出来る様になるのだろうか?と。行徳先生は80代で思風先生が70後半で
30代の自分が今思うのは、教えの前にその年齢で全国各地で講演されている事自体がすごいと思うのですが
お二人の関係が40年以上続いている事(昭和51年12月4日のきっかけから)もすごいなと。恐らく高度成長からバブル時代にかけて当時あまり評価されない心についてを語るのは、単に損得で見たら損ばかりで、周りからも今ほどは全然見向き去れずの時代でも続けてこられた事。
その続けてこられた事に価値があり、講義からはなかなか見えないところですが、思風先生の姿勢(にじみ出る謙虚さ)を見るときに、人が惹かれる要因というのが、知行合一の言ってる事とやってる事、そのやってる事を見る機会が多くなるにつれてますます惹かれる所であります。
ちなみに、思風塾の方と飲んだ時に出てくる言葉に
「嘘をつかれるのは嘘をつかないといけない状況にあったから」そんな環境を自分が作ってしまった。
そんなことで悩んでいる様ではまだまだ人間未成熟と。
「感性論哲学では、いかなる正義でも相手の心を傷つけるような事は悪である」
そして、
愛の実践は努力
相手のために努力する気持ちがなくなれば愛は無くなるが相手のために努力する気持ちがあれば愛は存在する。努力の姿勢を相手の前に示して見せる。言葉をかえれば思いやりの心!行動に示して相手に対し提供するのが思いやり
それを確かめる為には
相手が自分のためにどの程度自己犠牲的な努力をしてくれるかで、相手が自分を愛してくれているかがわかる。
勇ましい言葉に感銘を受けて、日ごろ実践出来ていないケースは多いのですが、ちょっと困った、悩んだ時にふと頭に浮かぶのは思風先生の言葉で、「問題は悪いもの、避けるもの、逃げるものではなく自分を成長させる為に与えてくれるもの」
大体何でも当てはまる事が多く、
これからは意識しなくてもフラッと先生の言葉が頭の中に浮かんでチャレンジしてみるというのが出来ればいいなぁと。その為の命から沸いてくる欲求、欲望、興味、関心、好奇心を育もうと思うのであります。
行徳先生も、感じないと動かない。感じれば動く。
頭の中で考えるよりも感じろ!と。よく仰っていて、それは感じる場所とか感じる音楽でもいいし感じる場所、感じる仲間、そういう所に行ってみて、何か感覚で感じるものがあるか。そういう自分の感じる瞬間を大切にする為には、ますますPC前やスマホ前だけで1日が完結する自分の様な仕事の人間こそ求められるであろうと。
振り返ると、まだまだひよこですが、自分の人生の中で
感じる!印象が強いのは、場所、出会い、挫折(人間味)
あまり、いい例ではないかもしれないのですが。。
欲をプラスに捉えると、やんちゃな時に感じる、ワクワク感というのも
心がムズムズしながらワッ!と欲望を爆発させる体験もプラスにもってくるパワーがあるなと。
感じるを大切にするには、自分なりの見解において過去に体験したことを振り返ってみて理屈抜きで面白い楽しいワクワクがどんな時だったかをイメージする事ではないかと。そして、その過去の体験というのは与えられた様でも自分の中でちょっとしたチャレンジ(行ってみる、やってみる)をした事が共通していて、感じる=根底にチャレンジが自分の中にあるなと解釈しております。
例えば、みんなを楽しませよう!というので開催したパーティーにて
面白おかしくフラッシュモブ練習
こういう時の面白おかしく感とワクワク感というのが大切なんだろうなと。
場所を変え、初島にいったときの感覚などなど
そんな機会を増やしていくというのも感性を磨くにおいて大切になるだろうと思います。