2023年8月5日東京思風塾「歴史と響き合う」
思風先生から歴史的な視点から、遺伝的に命に内在する力を「宿業」
それは祖先の残した過去の悪業、善業も含まれており、悪業と善業は半々。感性論哲学の対である考えなので、そんなに我々は悪業ばかりを背負っているわけではないし善業だけでもない。
半々で考えるならば、どうすれば現実において悪業の影響があまり出なくなり、善業の影響が出る素晴らしい人生を作っていけるか
祖先の悪業は自分の善なる生き方によって救うことができる
その善なる生き方についてを語っていただきました。
行徳先生の『狂愚富士登山』
東京思風塾でも講演頂いている行徳先生の91歳の挑戦のお知らせ
「諸君狂いたまえ」吉田松陰
まさにこの言葉を体現する91歳での挑戦
「狂愚」
意味は、他人の評価や批判を気にせず
ひとつのことに突き進む人を意味します。
『自分の人生を生きる人。
感性とは、まぎれもない私のこと。
感性とは、今ここ。
今、ここを生きる
今ここを生きるとは、自分であること。
あらゆるものすべてを受け入れ、否定しない。
あるがままを受け入れること。
受け入れた上で、いいところを取り入れて、
自分を進化させる。
理性は、画一化をめざす。
感性は変化に応じる。
思風先生の生き方は、愚直そのもの。
派手さも華やかさもないが、
いぶし銀のような輝きがある。』
行徳先生の芳村思先生評です。
「狂愚」
この言葉は、吉田松陰の言葉です。
「諸君、狂いたまえ」
松陰は、自らを「狂愚」と呼びました。
「狂愚まことに愛すべし、才良まことに虞るべし。諸君、狂いたまえ。」
「狂は常に進取に鋭く、愚は常に避趨に疎し」
「狂」は積極的に何ごとかを進み取ることに鋭く、
「愚」は逃げたりすることに疎い、
ということ。
積極的に行動する、至誠の人ということ。
実践することに重きを置いています。
久坂玄瑞宛に送った手紙の中に
「なるほど、あなたのいうところは滔々としているが、
一としてあなたの実践からでたものではないし、すべて空言である。
一時の憤激でその気持ちを書くような態度はやめて、
歴史の方向を見定めて、真に、日本を未来にむかって開発できるように、
徹底的に考えぬいてほしい」
として、考えるだけでなく、実践の大切さを説いています。
松陰の「狂」の影響から、
山縣有朋は改名して「山縣狂介」、
高杉晋作は「東洋一狂生」と名乗っています。