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壱岐の月に呼ばれて。。。

今年、8月11日、僕の最も大切な日とも言える日に、
morino cafe ten (https://www.instagram.com/morino.cafe_ten/) が引き渡された。この物件・土地、実は4年前に紹介してもらっていて、本当に大好きで、絶対に欲しい!と思えたけど、その時には全く手が届かなかった。

ずっと気にはなりつつ、縁がなかったのかなぁ、なんて思っていた。
それがふと立ち寄った神社のカフェでの立ち話から、急転直下、一気に流れ、あっという間に購入する流れになった。

あまりにもスムーズに、とんとん拍子に話が進み、心から驚いていた。
ある日、持ち主さんが売却する前に神職さんとお坊さんに頼んで、家、神棚、お墓、仏壇、敷地、山、その全て、お祓いしてもらった、とお伺いした。なんと、丁寧な地主さんだろう、とただただ驚いていた。

ある日、そのお祓いをしていただいた宮司さんが「高田さん、とんでもないお社がでてきましたよ。親父から聞いたことある「天月」と書いて「テツキ」と読む神社ですね。いやー、ちゃんとしないとダメですねぇ。」といきなり言われた。

「オヤシロ!?」

いや、いや、意味がわからない。

敷地に「オヤシロ?」

そんなことありますか。。。

言われた場所を見にいくと、蔦と倒木、竹や藪に覆われた、崩れた木造のお社がありました。。。

その藪の中には大きな石の祠があって、いろんなものに寄っかかれながら凛と佇んでいらっしゃった。

「ふぁぁ。。。。。。。。。」

正直、知らなければなんでもない。
でも、知ってしまった。見てしまった。
そして周りを整理させていただき、お祀りしたのがこちら。

天月さま

いつどうやってお祀りすれば良いのか、そもそも僕はその場所を守れるのか・・・いままで考えたことのない葛藤がありました。

そこから半年?1年?
周りを草刈って、たまにご挨拶に行く程度で、どうしていいかわからないままに戸惑っていた。でも、僕は絶対にその物件でカフェと宿とグランピングがやりたかった。そこだけは決まっていた。でも、会社の人員も定まらず、イルカも不安定な中で何もできないなぁ。。。と悩んでいた。

すると、なんと、前に前述の神社カフェで働いていた昔からの友人が「高田さん、私やっぱりカフェがやりたいねん!」と言ってくれた。

「え!?やって!カフェある!」と全く整備できていない場所なのに「ある!」と言ってしまい、勝手に進めていった(笑)

こちらもトントン拍子で話が進み、カフェができる。
その引き渡しが冒頭の8月11日

その直前。山の中をカフェをやってくれるメンバーと一緒にワイワイ片付けていたらなんと・・・

大きな木とつながったような岩を見つけ、何の気なしに周りを払ったら・・・

「オヤシロ。。。again…」

倒れた古い石の祠が出てきました。
その周辺には大きな岩がいくつもあって、なんか意図的に並べたようにラインが見えて、その一つが長い年月をかけてもり木に飲まれて一体になってて、なぜか、その真横のたくさんの落ち葉と蔦を払ってしまった(笑)

心の中で「あぁ、ここにもあるんだなぁ」と思いつつ、
不思議なくらい「自然に」受け入れている自分がいました笑

そのオヤシロがこれ。
手前にある丸い石には水晶が入っていて、これは海にはいっぱいあるんだけど、山で見ることはあまりない。特にこの森があるとこは海からもだいぶ遠い。この石は大切にされていた石なんだろうな、と直感的にわかった。

森の中から現れて、起こした祠。

この日は本当に不思議な日で、すぐ翌日にお祓いをしてもらうことができ、なんか空間全体が整った感じがした。

そして、「あぁ、またなんか始まるんだなぁ・・・」と思った。

2017年1月。
僕が、仕事で壱岐に降り立って、一番最初に車を停めて入ったところがなんと・・・「月読神社」。(だって、海を司る月の神様だから、僕にとっては僕の神様、くらいのイメージです。もちろん太陽の神様が一番好きで、太陽あってこその生物!くらいに思っているけど、月がないと海の満ち引きも動きも無くなっちゃう気もしてて・・・僕にとっては太陽と月はいつも対でとってもとっても大切な二つの要素なんです。ちょっと海・月よりだけど。)

この5年目。
イルカや会社のことでずっとずっと悩みながら、これだけ神社や神様がいる島なのに、大してお参りすることもなく、悩んでいただけの僕の前に、たまたまご縁あっていらっしゃったのは「天月様」
そして、その山の中にいらっしゃったこの祠では、
こんな「光」を見せていただいた。もうなんなんでしょう。。。

壱岐にまします、八百万の神様、僕は何をすればよかですか?

僕は幼少期からずっとが好きで、街よりも海で遊ぶ時間の方が長かった。
まずは素潜り。魚獲り。18歳にはスキューバダイビングのインストラクターになって、たくさんの生徒さんに「潜り」を教えてきた。

大学も海の大学。大学院も海。(結局、北極だったけど笑)
ほとんど全てのことを海で学び、生きること、自然の摂理、ヒト科ヒト・動物としての強さ、海のこと、自然の理しか知らない僕を「おもしろい」と拾ってくれた博報堂。大きな売上を立てることはできなかったけど、「おもしろ枠」としてはいくつかの小さな「伝説」は残せたし、いまも胸を張って語れる仕事をさせて貰った。

そんな僕も2011年東日本大震災で大きく人生が変わった。

街を飲み込む津波の映像を見たときに
「あ、、、海がやったことは海の人間がなんとかしないと」と勝手に思い込んだ。その瞬間、広告代理店のいち営業ができることなんて何も見つからなくて、海に潜り続けた僕がなぜか空に打ち上がる「花火」をあげた。

8月11日の月命日の夜19時に、鎮魂と復興の祈りを込めた花火を、一斉に打ち上げる。夏の東北地方の19時は昼と夜の間。海に太陽が沈み、山から月が登る時間。この時間を決めたのは僕じゃない、天才の先輩。悩みに悩んだけど、この時間にして本当に良かったと思う。

この花火がきっかけで、生き方と仕事を考え始めた。
結果、2013年に大好きだった、お世話になった会社を辞めた。
何かを決めずに、とりあえず辞めた。

フラフラしている僕にとある芸能事務所の社長が声をかけてくれて、「居酒屋やらない?」と言ってくれた。

大好きな後輩のコピーライターに相談したら、
つけてくれた居酒屋の名前はなんと・・・

「月々」

居酒屋のロゴ。水産が得意だったから、日本中から旬な新鮮なものを産直で送ってもらってた。

あれ?あぁ。。。

やっぱり月だった笑

今頃気づいたけど、僕はずっと「月」に呼ばれていたみたいです。
初めて海に入った時から、海が大好きになった時から、
イルカやる!って決めてしまった時から、
ここ、壱岐に来る運命だったんだろうな、と心から思っちゃった。

どんな道があっても、すんなり行かないこともある。
でも、いけるときには、驚くほどすんなりいく。道がなくても。

海と月。
そして、イルカと壱岐。

僕がここにいる意味はまだわからないけど、
とりあえず、間違っていないことだけは間違いなくわかったから、
備忘のためにしっかりと書いておきました。

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