文章一本で生きていく覚悟
新年度ですね。
気持ちも新しくなって、何かを始めたくもなりますよね。
ですが、僕はこれまで、いろいろなことをやりすぎていました。
ボランティア活動、地域活動、なんちゃら会にたくさん入会したり。
それはそれで意味が無かったとは思いませんし、楽しいこともやりがいもありました。
なのですが、考え方を変えたんです。
僕は、文章一本、筆一本で生きていくことを心に決めました。
いつもお世話になっている方にアドバイスをいただいたんですね、「あなたはいろいろなことをやっているけれど、そうではなく、何かひとつに集中すれば、すごい結果を出せるのではないか」と。
なるほどなあと思いました。
コピーライターとしては、まあまあの結果を残してきたかもしれません。
でも、「コピーライター木村吉貴」は有名でも何でもありません。
僕が書いたコピーも、世間に知られているわけではありません。
20年間コピーライターをやってきても、「まあまあの結果」しか残せていないんです。
これじゃあ、悔いが残る人生になりそうだなあと思いました。
だから、文章一本に賭けてみようと思ったんです。
そのひとつとして、小説を書くことにします。
(コピーライターとして「すごい結果」を出すために、コピー一本に賭けるんじゃないんかい、というのは、まあ、その…置いておくとして…)
学生時代、僕は脚本の勉強をしました。
そこで、物語の書き方を学びました。
すぐに脚本家にはなれませんでしたが、コピーライターとして活動をしている中で、映像作家と知り合い、仲良くなり、いっしょに映画をつくろうということになりました。
その映画で僕は脚本を担当し、ありがたいことに、作品は海外の映画祭で数多くの賞をいただくことができました。
以来、映画や演劇の脚本のオファーをいただけるようになり、晴れて脚本家も名乗れるようになったのですが、僕個人的には、文章表現の極みは小説にあると思っています。
コピーライターになって間もない頃、何作か小説を書いて公募賞に応募をしましたが、何の結果も出せませんでした。
では、コピーライターとして「まあまあの結果」を残せるようになった今の僕が小説を書いたらどうなるか?
文章一本で生きていく覚悟を決めた僕が小説を書いたら、どんな結果を残せるか?
挑戦したいんです。
ずっと前、正確には12年前から「小説として書きたい」と思い続けてきたテーマがあります。
12年前。
2011年。
東日本大震災が起こった年です。
あの頃、僕はとても悔しい思いをしました。
僕は東北の出身です。
テレビやラジオで、被災者の方が涙を流しながら辛い心情をお話しされる東北訛りを聞く度に、僕は、すぐにでも被災地に行って、何かお手伝いをしたい心境に駆られました。
でも、僕は被災地に行きませんでした。
鎌倉に家族がいて、鎌倉で仕事があったからです。
それらを投げ打ってまで被災地へ行くことは、僕にはできませんでした。
その悔しさは、今も胸の中にあります。
僕の東日本大震災は、まだ終わってないんです。
だから、東日本大震災をテーマにした小説を書きたいと、12年前から思い続けてきました。
仕事に忙殺され、子育てもあり、さらに、様々な活動に参加してきて、なんだかんだ時間が取れず、時間が取れないと言い訳をして、書けなかったこの小説を。
今こそ、書いてみることにします。
文章一本で生きていくという、覚悟とともに。