僕が起業家をやめてサラリーマンになった話
3年に及ぶ起業家としての僕の挑戦は幕を閉じた。
これから僕は肩書きを変え、また挑戦の道を辿ることにした。
この決断の裏側を今日はお伝えしたい。
2016年も終わりを告げようとしている。
今年を振り返ると様々なことを経験しすぎて、他人よりも長い時間を過ごしたのではないかという感覚に今でも陥る。
今年の1月、このブログでもお伝えした通り、FLAPのサービス終了を発表した。その裏では新サービスの開発も進んでおり、次のステージに進む準備は整っていた(ように思えた)。
その後、僕らは予定通りβ版の配布、テストを実施し、いざリリースという段階まできていた。結果的にリリースはせずに終わったが、リリースだけであればしようと思えばできる段階だった。ただ、そこで一つの壁が現れた。正確には、僕はずっと壁の前にいたのかもしれない。
サンフランシスコで実感した「お金を稼ぐ大切さ」がまだ本当の意味で理解できていないまま新サービスをリリースをしようとしていたのだ。
僕はまだ、本質的に事業を作る方法を知らない。マネタイズに苦しみ、同じ失敗を繰り返すのではないか。そのことが頭から離れる日はなかった。
事業の作り方なんて、最初は誰も知らないし、方程式があるわけでもない。だからみんなひたすらPDCAを回しながら習得し、事業を作れる人間になっていく。今イグジットしている諸先輩方だって、何度失敗したかわからない人ばかりだろう。ただ、当時の僕にはPDCAを回し続けれるほどの勇気と資金、時間がなかった。
焦りを感じた僕は、受注事業にシフトしようとした。
だが、時すでに遅し。メンバーはいなくなり、一人になってもできることを探し続けたが全く稼げなかった。今までのスタンスとは逆に稼ぐことに必死になりすぎて、起業した目的、やりたいこと、今まで積み上げてきたもの、すべてを見失っていた。事実上、起業家としての人生はここで幕を閉じた。
ちなみに、法人を清算するのも結構大変で、僕の場合、外部に株主がいたり借り入れがあったりまだ支払いきれてない発注もあったため、裁判所に申請など必要で、その申請だけでも50万円くらいかかるし、支払いきれてない発注の分のお金は毎月少しずつ自分のお金で払ってるし、経験という大切な財産は得たものの、お金はたくさん失ったし、まだまだ足りない状況なのが本音。起業するのも超お金かかるし、お金がなくなって清算するっつーのに、清算するのにもお金かかるんかい!って感じ。このへんもっと緩和したほうが起業のトライアンドエラーの回数増えるだろうに。まあ僕がお金吸い取られてるから文句言いたいだけってのもある。笑
みなさんもお気をつけて。笑
では続きをどうぞ。
その後は生きることで精一杯の生活が続いた。手持ちのお金がなくなるまで会社を続けようと粘っていたため、気付いたときには財布の中に12円しか残っていなかった。もちろん口座にもお金はない。ポジティブな僕にとっては、すべてを失ったからこそ、這い上がるしかないとも思えた。
3回の新規事業の失敗を経験し、プライドなどとっくにへし折られている。なんでもする覚悟だった。最初は日雇いのバイトから始めた。移動、休憩など含め拘束時間10時間で交通費込み1日7000円の仕事をしたことで、普通にPCに向かって好きなインターネットの仕事ができていた今までがどれだけ恵まれていたかを実感した。普通ってすごく幸せなことなんだ。日雇いバイトとは別にインターネットカフェでもバイトしたが、ただひたすら早く時間が過ぎてくれることを望んでいた。今までやっていた仕事のスタンスなんて、そこにはなかった。ただ生きること、お金を稼ぐ必要があった。「なんでここまでして生きないといけないのか」と思い、生きることを諦めそうになる瞬間もたくさん経験した。朝の9時から23時まで仕事をして毎月30万円くらいは稼げるほどにはなったが、ほぼ全て会社に残っていた支払いの返済に消え、贅沢どころか必要最低限のものすら買えない日が続いた。お金がたくさん欲しいと思ったことはないが、お金がないと最低限の幸せも得られないことを実感した。マズローの欲求階層説でいうところの生理的欲求以外何も満たされていなかったのだ。
このような生活を3ヶ月ほど続けたところで、僕は就職しようと決断した。
それまでは心のどこかでまた起業家として復活して、挑戦したいという気持ちがあった。ただ、自分の実力、置かれている環境を客観的に判断したとき、プライドを優先して会社経営にこだわる理由はそこになかった。
決断のきっかけになったのは、
①環境を変えることの大切さ
②せっかく東京にいるので、東京という環境を利用しようと思ったこと
③21歳で起業したときに、25歳までに何かしらの結果を出すと決めていたが何もできなかったこと
④経営者としてキャリアを歩む前に、サービス設計からPLまで含め事業が作れる人間になる
今振り返るとこの4つだと思う。
周りの人たちにあまり相談しないタイプの僕だが、就職に関しては何人かに相談に乗ってもらった。僕が今まで積み上げてきた経験を評価してくれる会社は絶対たくさんあるから、迷う必要はない。就職すると決断できたならすぐに新しい道は開けると思う。その言葉にすごく救われた自分がいた。
人生初の就職活動。転職活動といったほうがしっくりくるかもしれない。案の定、初めての就職活動は1ヶ月で身を結んだ。
僕はいま、サイバーエージェントグループの
にいる。
様々な企業からお誘いを頂いたが、この会社に決めた理由は、
・事業と経営が近い
・意思決定のスピード感
・一緒に働きたいと思える人との出会い
この3つだ。
将来的にまた起業家として新しいサービス、世の中の仕組みを作っていきたいと思っているので、事業と経営が密接に関係している会社が魅力的だった。
実際、サイバー・バズは社長や役員との距離が近く、毎日学ばせてもらう機会がある。
あとはなんと言っても、大学もろくに卒業していないスペック不明のこんな僕を3日で採用を決めてくれたそのスピード感と懐の大きさには感謝してもしきれない。僕のような人間をもっと求めている会社なので、ジョインしたい方がいれば一緒に働きたいな。
サイバー・バズは様々な軸で事業を展開している会社で、メインはインフルエンサーマーケティングを行なっている。InstagramやYoutubeで活躍するような、一般人で影響力を持つユーザーを活用した広告事業だ。
そのほかにも、
Doctors Me - 医師監修のヘルスケアのメディア
Cloud-F - ファッションブランド、バイヤーを繋ぐWeb展示会サービス
i-Analizar - Instagram分析ツール
などのサービスも手がけている会社だ。
最近、Instagram(株式会社glamfirst)と動画(株式会社ドゥーガ)の専門チームを子会社として設立したりした。
この会社で、今までやってきた経営という仕事からは一旦離れ、まずは事業を作れる人間になるために新規事業開発を任せてもらっている。今進めているプロダクトに関しては、現在絶賛開発中なのでまた改めてご報告させて頂きたい。僕が3年間で培った能力がどこまで通用するかを試す良い機会だ。
仕事のスタンスや日々の業務的には今までと変わったことはあまりない。だからまだ入社4ヶ月だが居心地が良いのかもしれない。事業計画や組織の使い方は日々学ばせて頂くことが多いので、このインプットをノウハウ化し、いち早くアウトプットして会社に貢献していきたいと思っている。
長くなったが、僕はこれからしばらくはこのサイバー・バズの人間としてまたインターネットの仕事をすることになりそうだ。今まで関わりのあった方々もまた一緒に仕事ができる機会があれば嬉しく思う。
普段は渋谷にずっといるので、気軽にランチなど誘ってちょ。
21歳に大学在学中に起業し3年。あのときの決断は間違ってなかったと思うし、これからの人生においても大切な3年間になるだろう。これから起業を考えている若い人は、華やかな起業家のほうだけに目を向けず、色んな角度から挑戦の決断をしてほしいと思う。10人に1人が成功し、そのうちの10人に1人が大成功する世界が起業だ。いやもっと低いかもしれない。それを知った上で挑戦する人は全力で応援する。僕もまたすぐそっちに行くから、もたもたしてらんねえぞ。
「起業家」の肩書きを捨て「サラリーマン」となった僕の挑戦をこれからも見守ってほしいと思う。