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No.39「何も考えない」時をもつ

今日のヒトコト

最近、本を要約したYouTubeを視聴して読みたい本があれば購入しているが、時間管理の本は要約を視聴しても買って読んだことがない。何故かというと、

  • せっかちな性格が幸い(?)して、なんでも効率効率効率!でこなしてさっさと済ませる

  • 家族との時間を優先して、仕事は残っていても残業せず帰宅

  • あとでゆっくり自分を使いたいために、嫌なことは後回しにせずせっせと済ます

  • スキマ時間がある限り、読書、経済ニュース、教養系YouTube等に使う

  • 自分の時間を確保するため朝活している(朝食前に読書、瞑想、noteなど)

など、「とにかく時間を効率的に使わないと」というマインドが数年前から強く働いているおかげで、時間本の類いのものは読まなくても自分でできていると実感しているから必要ないと思っている(ちょっと自意識過剰かもしれない…)。

ただ、たしか小学校の時の国語か道徳か社会かなんだかの授業で聞いたはずだが、あるテレビ局がとある原住民たちを取材していたとき、原住民たちと移動中に急にその原住民たちが車座に座り込んで動かなくなり、「一体どうしたんですか?」とテレビ関係者が聞いたところ、原住民たちが「移動スピードが速くて、自分たちの心がついてきていないからここで座って待っているんだ」と返答したというエピソードがずっと頭の中に残っていて(もはや何の授業だったかも全く覚えていない・・・)、時間もったいないって思っている最中にこのエピソードを思い出すと、「近頃自分のココロがついてきているか」と自問自答して、もし「何だかついてきていないかも」と思ったら、一旦頭の中をリセットして、少しでも何もしない考えない時間を作ろうとしている。

朝にやっている瞑想がその一環にはなっているが、瞑想は瞑想でいろんな考えや悩みがどんどん出てきて全然集中できずこれで良いのかと思ったりするものの、ほんの少しでも追われるような生活(自分が勝手に生み出している生活)からは離れているという意味では、瞑想は続けていて損はないと思う。

瞑想以上に「何も考えていない」時を持ちやすいのは、電車に揺られながら景色をぼーっと眺めている時かもしれない。通勤電車での読書や動画視聴に疲れたとき、何も考えずに景色を眺めている時があるが、あのときが一番「何も考えていない」状態に入っていて、「無」の境地に入っている感覚だ(はためから見たら目がうつろになっていて「この人大丈夫か?」って顔をしているかもしれないが)。
そう考えると【電車に揺られながら目がうつろな状態でぼーっと景色を眺めている状態】こそが自分の理想に近い【何も考えていない】状態かもしれない。

ただ、あまり意識するとこの時間も「何も考えていない」時ではなくなってしまうので、意識しないようには気をつけたい。


今日のイチマイ
都内の空
スッキリした青空だったので撮影




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