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学校教育における「自由」と「規律」を考える

ドラゴン桜、大好きです。
さて、SNSで目に留まった、地方のとある高校教員というアカウントの投稿が目にとまりました。
さすがにネタツイートだと思いますが、私は専門校で非常勤講師をしていて、教育連携している高校の生徒たちとも接しながら、楽しく生活しているので、その意見には少なからず興味を持ちました。

その投稿には、学校において「集団の秩序維持のためには自由や権利は幅広く制限できる」という考えが書かれていました。
学校での自由を制限することには治安維持という合理性があるという主張で、反乱を防ぎ治安維持をするためには校則が必要であり、学校において自由は不要だとも述べられていました。

いわゆるネタのアカウントで、さすがに本物の教員ではないと思います。もし本当なら、私の考えとは相反するものであり、少し悲しい気持ちになりました。

もちろん、社会においてルールは非常に大切です。
しかしこの投稿からは、投稿者が生徒の将来を思っているのではなく、むしろ管理する立場としての自己保身が優先されているように感じられます。
秩序維持・治安維持の名目で、権力を持つ者が、一方的に権力を行使することは気をつけなければなりません。

自由とは、自由奔放という意味だけではなく、自由主義という思想や哲学的な意味があり、それは自分の意思や権利を持つと同時に、他人の権利や尊厳を守ることで成り立つものです。

生徒たちが自分や他者の権利を理解し、尊重することを学ぶことで、より良い学びの環境や社会の一員としての責任感を育むことができると考えています。

ロスジェネ世代の価値感からの脱却

そのアカウントのプロフィールを見たところ、私と同じ世代の設定でした。私たちロスト・ジェネレーションと言われる世代は、押さえ付けられるような教育を受けてきたと感じることもあります。そして、私は今の若い世代を羨ましいと感じることがあります。

私は世の中の変化にワクワクし、新しいことに常に挑戦してきました。ChatGPTを使うこともその一つです。この文章もChatGPTと会話しながら、書いています。
しかし、同世代の中には、私たちより上の世代の成功体験にとらわれ、こうした世の中の変化に抵抗感を持つ人も少なくないように思います。
そして、この投稿に同調する人も少なからず居るのかもしれません。

今の若い世代は、私たちの時代とは異なり、インターネットやSNSを通じて様々な情報を簡単に手に入れることができ、良くも悪くも世の中のことを多角的に知り、理解しています。
若い世代には、若い世代の価値感があります。もちろん僕ら世代もそうです。
これからの社会を創造していくのは、新しい価値感で時代を切り拓いていく若い世代です。
そんな彼らと対話することで、お互いの価値感を掛け合わせ、新しい気づきを得ることができるのは、私にとって大きな喜びです。
生徒や学生たちは、僕に色々な刺激を与えてくれて、楽しい毎日を送ることができ、いつもありがたいと思っています。

そんな彼らに、自分の経験や知識が若い世代の将来のために、何か役立てることができるかを日々考え、学び続けています。


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