コロナ禍のフェス

コロナ禍の大型フェスに関して様々な意見が飛び交っているが、個人的にはまだ答えが見つからないでいる。
ただ、今日フジロックにKan Sanoが出演する状況の中で、レーベル、マネージメントの代表である僕のような人間が、都合よく影に隠れる事はしたくない。
答えは見つからないが今考えている事をここに記しておこうと思う。

出演にあたり、チームでも何度も協議した。
昨日の夜もギリギリまで話をした。
本当に様々な角度から考えた。

「こんな状況の中で自分たちだけ良ければそれでいいのか?」
「無観客でいいんじゃないか?」
「これで感染者が増えたら責任は取れるのか?」
「感染対策が甘いんじゃないか?」
「国のせいにするな」

様々な意見もあるだろう。
そしてそのどれもが正しいと思う。

それならやめればいいじゃないか、出演しなければいいじゃないか。
そう言った声も聞こえてきます。
もちろんそれが正論だと思います。

でも僕には違う景色も見えている。
昨年、コロナで職を失った音楽関係者に自己資金を寄付するという活動をおこなった。
フェスのステージに関わるスタッフの方々にも支援させていただいた。
その方々のSNSを見ると今年フジのステージでお仕事をしているようで安心した。

メンタリストDaiGoさんの件でもクローズアップされたが、音楽業界でも様々な状況の人がいて、誰もが有事に対し万全な資金がある訳はない。
日々の現場仕事の収入を積み重ねて生きている方も沢山いる。
僕自身も起業してからお金がない時期が何年も続き、今まで本当にたくさんの人に助けられてきた経験がある。
開催に対し心配している方は、このフェスがなくなる事でどれだけの人々が職を失い生活が危機に晒されるのか、という事までは想像できないかもしれない。
それは当然の事だし、こんな時にやらなくても別のやり方があるだろう、と感じるだろう。
しかし、ガイドラインに則り、1年前から準備を進めている事を止めた上に、困窮するスタッフ、関係者全員救う事は、民間の会社には不可能。
政府のような規模でない限り...。
つまりこのイベントを止める事で人生が終わる方もいる。

金銭的に行き詰まった人の人生が終わる事は病気と違って他人に感染するものではない、という考えもあるかもしれない。
しかし、いつか順々に影響し合い、それぞれに降りかかる可能性がある。
自分がその立場になった時に見えるものもあるだろう。

人間は本来、目の届く範囲の出来事以外は自然と頭から排除されるようにできているそうです。
我々がコロナの脅威に晒されている以前から、世界では悲惨な事件や災害が数多く起きている。
報道されて目に入れば思いを巡らせますが、常に世界中全ての出来事を考え続ける事は難しい。

内戦が続く国の子供達
衛生的ではない国に蔓延する疫病
辺野古や沖縄の問題
アメリカの黒人差別問題

様々な問題全てに対し立ち止まり、考えを巡らせるが、最終的に自分が現実的に直面しない事を考え続けるキャパシティはないし物理的に難しい。
どうしようもできない異国の出来事を考え続ける事はできないがコロナはいつか自分に降りかかるかもしれない。
でも、フェスをやる人々に対して投げかける「自分たちだけ良ければそれでいいのか」という言葉は、他の問題を抱える人からいつか自分にも投げかけられるかもしれない。

自分たちの仲間が助かれば無関係な人に迷惑をかけてもいいのか...?
もちろん答えはNoです。
ただ、他人に迷惑をかける可能性があるのであれば、自分も含む家族や仲間は命を絶つべきなのか?
その答えは見つからない。
自分に関わらない人の命は軽いなんて考えた事もない。
でも例えば数十人が崖から落ちる状況でその中に家族や友人がいたら、きっと誰もがその家族や友人に手を伸ばすだろう。
苦渋の決断ですが二本しかない自分の腕で限られた人を救うだろう。

様々な条件を可能な限り受け止め、自粛し続けてきた。
長い間この問題と向き合ってきた。
(もちろん全ての人が同じだと思うが職種によって打撃は違う。)
そんな中、どうにか条件を満たし認可された形で仕事をしている。
しかしこれも駄目だとされてしまうともう手立てがない。
ビルの最上階で火事がおき、窓際に立たされている状態。
部屋で焼け死ぬのか、窓から飛び降りて死ぬのか...。

例えばこの先「今後部屋から一歩でも出たら、あなたがウイルスを人に移す事になる、部屋からは絶対に出ないでくれ」と言われ
1ヶ月、2ヶ月、半年、、、と時が経ち、食料もなくなり精神も限界になったら僕は果たして家で死を待つのか?
もしくは人々に非難されながら外に出るのか?
答えは今も分からない。

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