個性的を目指すという無個性
みなさんこんにちは!デビュー30周年を迎えるバンドに所属しながら名前もパートも覚えてもらえないSOPHIAのベーシスト・黒柳”その他”能生です。
…な~んか面白い事が書けなくなったなぁ。
なんかさぁ、多様性だのコンプライアンスだのLGBTQだの、ほとんどの人が大して気にもしていない事をごく一部の連中が大袈裟に捉えて揚げ足取って、ちょっとでも気に障るとSNSで騒ぎ立てて、それに乗っかって叩きまくって…それを恐れて芸人もROCKERも何も言えなくなってさ。
結局、自虐するしかなくなってつまんない事しか言えなくなってんだよな。
「個性」だ「多様性」だと言うクセにちょっとでも気に入らなければ徹底的に排除して結果的に「画一化」させてる事に気付かんかね?
他人の嗜好や思考に文句言ってる時点で「多様性とは真逆」なんだぞ?他人を認める事で自分の自由を得ることが真の多様性なのに、自分の嗜好や思考の自由は主張するクセに自分の気に入らない事は徹底的に排除する。
こんな歪んだ多様性なんかいらね…(以下自)
言いたい事も言えないPOISONな世の中だけど、それを言うと簡単に炎上しちゃうんだよな。マジでつまんねえ。ここらが潮時かね。
別にしがみつくつもりもねえよ。
ま、いいや。
そんな事を考えていたここ最近、カップヌードルってスゴイなぁ…と不意に改めて思ったんだよな。「お湯をかけて3分待てば美味しい食べ物が出来る」コレだけでもスゴイんだけど、最近気付いたスゴさは「カップヌードルってラーメンだと思ってたけど、よくよく考えると全然ラーメンじゃない」って事。
だってこんな「ラーメン」はどこにもないんだもん。
中華料理のラーメンにも、ミシュランガイドに載ってるラーメンにも、どこのお店にも存在しない「ラーメン」なんだもん。
みなさんのお気持ちは毛玉と俺の健全な育成のために使われます。