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掃除は物体移動ではない

自宅ガレージに集まってくる落ち葉の掃除、やってもやってもが切りがない季節ですが、怠ると大変なことになるのでちゃんとやっています(写真は、INCRAVE仙台オフィスから眺める今朝の「西公園」です)。

掃除してると思い出す前職時代の話(25歳くらいかな)。

毎朝の「儀式」みたいな掃除を繰り返していた自分に、あるとき先輩が「掃除はなんのためにやるか、分かってるか?」と。そんなの「きれいにするため」に決まっているわけだから、そう答えたのですが、「分かっている割に、おまえの掃除はただの物体移動だな」と。

お決まりのルートで床を撫で歩いてきてゴミが集まったら、ポイっ。「それも掃除」なんだろうけど、なにか「本来的には違っているかも(足りないかも)」という感覚はあったので、素直に聞くことに(^^;

で、その先輩が教えてくれたのが、掃除の三大目的(なんのためにやるのか)。その場所や状態変化のことを毎日見ている立場から、

①安全向上(衛生維持と事故防止)
②整理整頓(効率化や生産性向上)
③職場改善(気持よく働ける環境づくり)

を、集約的に同調進行でやっていくのが「掃除」だと。生産工場出身の先輩なので、これはもう説得力が違います。

自分が見てきた世界品質を生むあの生産現場は、働くヒトたちによるそういう視点と活動の繰り返しで出来上がっていて、しかも、日々進化を続けていることを思い知りました。技術と品質にこだわる「ものづくり」の仕事や現場では、これら①②③なんて当たり前であり、私がやるレベルの「掃除」で成り立つことは無い、わけです。

「儀式」や「物体移動」のようにしか捉えていない原因は、単に自分の「ものづくり現場の在り方」対する考え方の低さ&浅さでした(^^;

さらにこの先輩によると、掃除のやり方や結果はそのヒトの「本質」を映すと言い、「掃除(①②③)が当たり前にデキるヤツは、仕事もデキる」と。こちらは若くて単純なので「なるほど、それがカッコいいのか」と、それ以降は意識しながらやってきました。

そういう積み重ねの甲斐もあって、いまでは「カッコ悪い」仕事に出会うと、なんとなくそのヒトの内心のことが分かったりします(笑。
(もちろん自分だってまだまだです)

「体(態)は心を表す」は、誤魔化せません。

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