見出し画像

平穏と膠着はけっこう似てる

方針や要件の枠組み、目的&目標なんかが「確か」なところを目指していれば、あとの細かいことは現場裁量が決めればいい、と思っています。
ところが、この「確か」を産むところも大変だけど、カタチにするところはもっと大変な会社(&仕事)なので、何から何まで「誰かに決めてもらいたい人」は、働けない会社ではないかと思います。

3人いれば、捉え方や考え方も3つ。

課題本質と目的を外さないように、足したり(+)・引いたり(-)・掛けたり(×)・割ったり(÷) しながら、みんなで「Yes and」のベストを編み出していく。関わる人の数だけ、ぶつけ合う場の数だけ、摩擦が起きます。

一致しないズレは、無駄なのか、不効率なのか。
このズレを「幅」や「新常識」を見出すチャンスと捉えるのか。

経営者によって違うわけですが、私(インクレイブ)としては、むしろ、必要なときに必要な「摩擦」が、誰でも誰とでも「起こすことができる」くらいの経営システムが大事だと考えていて、後者です。

会社の御膳立て次第で、人にも組織にも「摩擦」が減って、会社や仕事は「平穏」側に寄ります。ただ、この「平穏」って「膠着」と似ているところがあって、その境や違いの見極めが難しい。その「平穏」が充てがわれたものだと、尚さら意味と質が「膠着」側に寄っていきます。

会社は「人」が主役。
その集まりが「組織」でしょう。

「膠着」したそれらから良質かつ新常識の仕事が出てくることは少ないわけで、うちの「ものづくり・会社づくり・人づくり」の理想や目指し方にとっては、後者でいける永続メカニズムが不可欠だと思っています。

人と組織と仕事が「膠着」から逃れるひとつの術かな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?