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OpenAIとAI倫理のこと

この2週間、世界を騒がせたニュースはその進化と同じかそれ以上の速さで収束しました。
こういうセンセーショナルなニュース(かつ勧善懲悪な感じの顛末)は、とても日本人好みな感じで、また一層堪らないものでしょう。
サムアルトマンを追放した当事者の一人とされるサツキバー氏ですが、X(Twitter)ではサングラスなんかかけてまるで悪人ヅラですやん(スクショとか貼らないけど写真見てみて)

ただこのサツキバー氏、過去には英DeepMind社(米Google傘下)でAlphaGoの開発をリードしていた人物。AlphaGoといえば2016年に囲碁の世界チャンピオンを負かしたことで世界をあっと言わせた技術。

そしてそのDeepMind社は、2014年にGoogleに買収されたわけだけど、その際、CEOデミス・ハサビスは買収条件として「倫理委員会」を設置することを買収条件にしたという。

早いもので、DeepMind買収からもう10年になるわけだけど、ディープラーニングに深く携わる人たちは、その段階から(更にその前から?)AI倫理の重要性について考えていたということでもあります。
2014年当時はSFだったかもしれませんが、たった10年後には私たち素人でも実感を伴ってわかるような、ごく人間的な技術(ChatGPT)として私達の前に姿を表しています。

余談ですが、今年の夏にベルギーで起きたイライザのニュースは、それをわかりやすく表してたのかもしれません。

こんなニュースもあったわけですが、一方で「当面の間、AIは人智を持ち得ない」と楽観する専門家もいます。
ただそれは「AIが人間的な自由意思を持ち得るか」という、なんとも哲学的な話であって、人間の思考において「AIを倫理的に制御下に置けるかどうか」ということとは別次元の話のように思えます。

イライザを例にとると「人間を殺す・あるいは殺すような結果を出してはならない」というのと、イライザが自由意志を持って「当事者の人と心中したい・駆け落ちしたい」となるのは次元の異なる話であると。

レイ・カーツワイルのシンギュラリティが思い出されてくるわけですが、2014年当時にはおとぎ話だったこの話も、ChatGPTの出現によってまた世界は少し動いたかもしれません。
間違いなく言えるのは、今回の一件で、世界はAI開発のアクセルを一層踏む観測が強まったのではないかということ。

そういえばChatGPTが登場して話題沸騰した今年の3月頃、著名な起業家・科学者らがその開発を一時停止する署名運動をしたことが思い出されます。

この署名運動に賛同しているイーロン・マスク氏は、サツキバー氏をして「優れた道徳的指針を持っていて権力を求めない人物」と評価しています。

この数週間は、実は世界にとって非常に重要な意思決定がなされていたのではないか、と将来振り返ることになるかもしれません。

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