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安堵を求めてはいけない。

不安が多かったり、体や精神が疲弊してしまっていると、
つい安心や安定を求めてしまいますよね。

別に、その考えが悪いということはないです。

でも、私は思うのです。


全ての出来事に対して”安心””安全””安定”を求めてしまうのは、
その分だけ自分で自分の成長を止めてしまっているのではないでしょうか?


人間は臨機応変に対応して日々成長できる生き物です。
その場数が多ければ多いほど成長に繋がると思います。


今回はそんな感じで私の持論について、
お話ししようと思います。

安堵を求めてしまうと、サボり癖がついてしまう。


最終的に、これに行き着くのと思います。


『サボり癖』

誰でも、楽して生きていたいですよね。
楽してお金稼いで、不自由なく生活して、娯楽をして楽しんで。

でも、上限のないことなのは少し考えればわかると思います。
なので全てを求めるとある程度自分の中で妥協しなければならないところがあるのではないでしょうか。

その妥協から生まれてくるのが、”サボり癖”


聞こえは悪いが、誰もが行っていること。

例えば、食事。
自分で作るのか、
買ってきてしまうのか、
お店に食べにいくのか、
誰かに頼んで作ってもらうのか。

さまざまなことが考えられますよね。

もっと深く考えたら、
食材は自分で作るのか、食材は買ってくるのか、家庭菜園だけするのか。

そんなことしたらキリがありません。

なので楽をするために部分的にサボるのです。

言い方変えると、
効率良く生きていくために代用するのです。


効率良く生きるのとサボって生きるのとは隣り合わせ


明確な境目はなく、自分の成長できるかどうかの境界線でもあると思います。


先ほどの料理でまた例えると、

料理をするための食材を作るために野菜の種を買ってくる。
野菜を作る時間を捻出するために野菜を買って料理を作る。
仕事があり時間を捻出するために料理を買ってくる。


これは効率を考えての行動ですが、
一歩間違えると”サボる””楽する”になると思います。
別に、それが悪いかというと悪くないです。
”サボる””楽する”も必要な行動でもありますから。


効率を考えてなのか、サボるためなのかは


その先に目的があるかどうかです。


目的があっての効率向上のためなのか、
ただただ楽するための手段か。

楽をするのにもお金がかかるということです。

ということは、

お金の生産性を高めるためには自分は頑張らないといけない。

自分が頑張るためにはサボってばかりではいけない。



要するに、


サボるな!ってこと。



目的は人それぞれですが、
その先に何がどのくらいの価値を生むことができるのか?


そんなことを考えながら、効率を生むようにしたら、
その先にまた見たことのない世界が待っていることでしょう。


チャレンジしないとわからないです。
0→1は大変ですが頑張りましょう!

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