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高校教諭時代の働き方③ - 子育て共働きフルタイムと日本に居残りの普通科高校での2年間【149】

 私は大学を卒業後、社会科教諭として工業高校に赴任しました。そこで6年間働き、学校教育について多くのことを学びました。そして、2校目に転勤となり普通科高校での勤務がスタートしました。
 噂通り、工業高校とは教員の数が異なることから、普通科高校での仕事量は膨大に感じました。
 特に普通科高校で担任になってからは、校務分掌も一緒にこなすことに苦労しました。また、授業に関しても生徒からの質問があったり放課後の受験対策や進路に関する面談をしたりと忙しい日々でした。

 工業高校に勤めていた頃の働き方については以下の記事をご覧ください。

◯教員生活7年目(普通科高校)

所属学年:1年生副担任
校務分掌:進路指導部 就職・公務員担当、面接指導
委員会:なし
部活動:ハンドボール部主顧問
担当科目:3年生「政治経済」(4クラス)、1年生「世界史B」(4クラス)

 夫婦同時に新しい学校へ転勤となり、新しい環境の仕事に慣れることと子どもの送り迎えなどの生活リズムに慣れるまでにかなり苦労した。幸いどちらも同僚の先生方に恵まれて、子育てと両立させながら何とか1年を乗り切ることができた。私にとってはこの年が最もハードな1年だった。体調を2度壊してしまい、入院手前まで悪化してしまった。しかし、妻にとってはこの前の年が最もハードだったらしい。

最もハードだったと思われる教員7年目の1日

朝の保育園送り担当:私、夕方のお迎え:妻
時間をずらして勤務(9:15~17:45)

5時 起床:朝食、保育園のスナックの準備、その後授業準備
6時 妻出発:引き続き授業準備
7時 子ども起床:朝食、着替え、保育園の準備をして7時半出発
(娘のイヤイヤ期と重なった時は精神的にかなり追い込まれていました)
8時 保育園到着:娘を送って勤務校へ
9時 出勤:授業は1日平均3〜4コマ
9:15~17:45 勤務:授業、生徒の成果物確認、会議(進路・教科・職員会議)、生徒対応、部活動付添
17時45分:勤務時間終了 →   部活動生徒の下校見送り
18時過ぎ退勤
19時 帰宅:夕食、入浴
21時 娘の寝かしつけ:その後授業準備(教材研究やスライド作り)

土日は両日半日勤務(部活動の付添)、公式戦の日は1日付添

 4月、転勤早々ハンドボール部の主顧問を依頼される。子どもの保育園の送り迎えがあるためと一度断るが、部活動担当の教員から「副顧問もいるから調整は簡単」と言われて引き受けてしまう。実際に蓋を開けてみると、人間関係がまだ出来上がっていない私にとっては、副顧問との調整自体困難であった。平日は他の副顧問にお願いすることができても、休日の付添は他の副顧問に頼むことはかなり難しく、子育て中の身としては主顧問としての仕事はかなり厳しかった。引き受けなければよかったのにと周りから言われたが、前任校のようにうまく分担できると思っていた。しかし、学校が変わればいろんな土壌が異なるため、それがすぐにはできなかった。
 慣れない業務に加えて、国公立大学や有名私立大学への進学希望者が多い普通科高校では、授業準備は充実していたが、その分かなりハードであった。さらに、部活動の業務が加わり、これまでとは違うシステムを使って部員の協会への登録や予算の執行、データ処理などが初めてのものばかりであった。
 学校での業務が部活動の仕事にとられることも多く、教材研究や授業準備は専ら家に持ち帰るしかなかった。そして、睡眠時間が削られつつあった5月に、私は電車の中で貧血で倒れた。電車に乗っていると急に胸が苦しくなり、気がつくと電車の中でしゃがみ込んでいた。あの時、電車の揺れなどで頭を強打していたらどうなっていただろうかと今でも思う。また、その後も11月頃に帯状疱疹にかかってしまい、仕事を無理やり続けていると動けなくなるぐらい体が痛くて病院で診てもらうことにした。すると、これ以上働くと入院しなければならず、帯状疱疹の痛みが後遺症としてずっと残ることになるから、すぐに休みなさいと言われる。この時に、自分の教員としてのあり方について考え直したいと思った。

 部活動を引き受けたことが直接体調悪化につながったとは思っていない。慢性的な忙しさ(特に子育て世代にとっては)が心と身体を蝕んでいるように感じていた教員という仕事は、一体何のためにあるのか。授業が本業ではないのかと何度も自問自答を繰り返し、働き方、生き方について妻と話した。

◯教員生活8年目(普通科高校)

所属学年:1年生担任
校務分掌:教務部 学年教務(成績処理や科目選択など)、考査時間割及びテスト監督表作成(交代制)
委員会:国際交流委員会
部活動:陸上競技部副顧問、ハンドボール部副顧問
担当科目:3年生「政治経済」(6クラス)、1年生「世界史B」(1クラス)、LHR

 妻と娘はオランダへ先に移住。5月以降は、私一人日本に残って仕事をしていた。私も次年度からはオランダへ移住するため退職することが決まっていた。そのため、文字通り24時間教員として全ての仕事をフルパワーで取り組んでみた。すると、プライベートの時間をほとんど犠牲にすることで仕事がやっと満足できるレベルでこなせるようになることが分かった。つまり、勤務時間内では到底終わらない量の業務量を抱えているということである。
 この年は、ハンドボールの新しい指導者が転勤してきたことによって、主顧問としての仕事はなくなった。1年生所属でありながら3年生の担当クラスが多かったため、昼休みや放課後の面接指導や小論文の添削、政治経済の講習会などをするようになった。
 働き方としては、7時出勤20時退勤が普通であった。前述の通り勤務時間内には到底終わらない業務量である。また、生徒のケアを入念にしようと思うと会議などと重なってしまうことが多々あったが、生徒のケアを優先するようにした。私なりにこの仕事で最も大切なのは、生徒への授業と生徒対応だと考えていたからだ。

過去8年間の働き方を振り返って

 全体的に私は担当する授業数が少ない方だったと思います。加配の関係であったり、教諭と非常勤の数が関係して通常よりも少ない授業数でありましたが、それでも業務が多岐に渡り慢性的に忙しい日々を送っていました。
 特に、家庭を持ち自分の時間と教諭としての時間の両方を求めていた時はかなり大変でした。プライベートの時間も大切にという考えをお持ちの先生方が周りにいたおかげで、私は仕事だけの人間にならずに済んだかもしれませんが、仕事量としては勤務時間外でも目一杯やってやっと満足のいく仕事ができる感じでした。

 地方の教育公務員は残業手当みたいなものが元々付けられているので、残業をしても残業代は出ません。しかし、超過勤務の時間を増やしてはならないと、業務量は変わっていないのに私が勤めていた普通科高校の管理職は早く帰れと言っていました。
 どこに問題があって何を改善すべきなのか、簡単なことではありませんが、オランダ社会で学んだことは、仕事には余白がないと新しい発想や、心に余裕を持って子どもたちのケアはできないということです。
 オランダは教育制度が素晴らしいのではなく、社会全体が個人を大切にしているからこそ、子どもたちが幸せなのだと思います。オランダに住んでいる日本人にとってみたら、「オランダ人は仕事しない」「彼らは賃金が高いくせに仕事としては使えない」と指摘しているのも聞いたことがありますが、休日もなく働くことに命をかけ忙しすぎることに疑問を投げかけてくれているように思います。
 どこに生きがいを見出すのかはその人によって異なるため、どちらも否定することはできませんが、少なくともお互いが自分らしくいられる環境は必要だと感じています。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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