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夫婦で話し合って決意した海外への移住
(2025.2.26更新)この記事では、私たち夫婦がどのように話し合い、海外移住をすることにしたのかについてまとめました。妻は娘と共に2019年の5月から、私は2020年の3月からオランダで生活しています。
日本以外の文化や価値観に触れる機会
それまでの私は、日本語以外でコミュニケーションを取ったことがほとんどなく、海外で生活することに強い不安を感じていました。初めは海外移住についてあまり前向きには考えていなかったのですが、夫婦で対話を重ねていくことで、私の気持ちは少しずつ変化していきました。
私たちは夫婦で日本の公立高等学校の教員をしていたのですが、妻と話し合う中でこれからの日本の教育を本気で考えるのであれば、海外生活の経験も必ず何かの役に立つと感じるようになりました。
また、子育ての環境を変えてみることも1つの選択肢としてあっても良いのではないかと考えるようになりました。ただし、海外移住というのは子どもにとっては大きな環境の変化となるので、保護者は細心の注意を払う必要があるとも感じています。
仕事も家庭もオーバーワークな毎日
日本の教育現場で働いていた頃、私は職場の仲間と「生徒にとって必要な授業や教育のあり方」について考えたり議論することが好きでした。私が2校目で勤めた高等学校の生徒のほとんどが、4年制大学への進学希望者が占めており、いわゆる受験の世界で生活する生徒達を目の前にして、自分が高校にいた頃とあまり変わっていないという印象がありました。
私が教育現場にいながら抱いていた疑問は、
・なぜ生徒達はこんなに過剰な競争を強いられているのか
・未だに知識を大量に詰め込むことが求められる入試問題の傾向が残っている
・なぜ慌てて試験範囲まで終わらせるための授業をしなければならないのか
・なぜ生徒1人ひとりとゆっくり話せる時間が持てないぐらいこんなに忙しいのか
これらの疑問は「そういうものだ、仕方ない」と割り切るのが難しい状態でした。
当時は妻も高校の教員をしており、夫婦でスケジュールを常に調整しながら二人三脚(実際に2人ではまわしきれず、どちらも両親に頼らざるを得なかったのが事実です)で1人の娘を育てていました。保育園の送り迎えを分担し、学校では「勤務時間内には到底終わらない業務」を、職場にいられる限られた時間で目一杯取り組みました。
平日の家族での時間も大切にしたいと考えていた私たち夫婦は、夕食から子どもの就寝までは一緒に過ごし、子どもが寝てからもしくは朝5時に起床して授業準備をするという生活をしていました。今思えば、夫婦ともに精神的に極限状態でした。
こどもの心の成長に向き合えているか
当時2〜3歳の娘が突然ぐずったり機嫌が悪くなるのは年齢的に当然のことでしたが、それによって他のスケジュールに大きく影響が出ることにストレスを感じました。当然、娘にとってぐずったりわがままを言うことは、彼女自身の心の成長のためには必要なことであり、私たちがゆっくり話を聞いてあげなければいけないと頭では分かっているのですが、それを受け止める余裕がこちらにないという生活が続いていました。
我が家の子育てに対する考え
私たち夫婦はこどもに対して「世の中には自分とは異なった価値観を持つ人がたくさんいる」というのを肌で感じながら、それを受け止められる人になってほしいと思っていました。そのため、私たちが求める子育て環境の1つとして、インターナショナルスクールの保育園に通わせることを選びました。
インターナショナルスクールの学費は一般的に高いと言われており、私たち夫婦もそう感じていましたが、私たちが望むこどもの環境だったのでその保育園に通わせる選択をしました。その当時は、「わざわざそんな高い学費を払ってまで通わせる意味はあるのか」や「こどもが小さいうちはどちらかが家にいるべき」など、良かれと思ってアドバイスをいただくこともありましたが、私にとってはそれが自分に合った選択ではないと感じました。
その一方で、同じ職場には「夫婦で話し合って決めたことが一番だと思うから、何とか仕事の効率上げてやるしかないね。教材研究とかは家でやるしかないけど、、、僕もそうしてる。」(歳の近い先輩)や「子育て中の人でも働く方が社会全体としては良いと思うよ。子育て世代の働く環境は変わって欲しいし、今の状況はすごく大変だと思うけど、子どもはあっという間に大きくなるから、子育てが終わった僕らに任せられるところは任せて、家族の時間大切にしてね。」(定年退職間近のベテランの先輩)といったように、自分達の信じた道を歩むことの大切さや、職場内でお互いの事情を考慮して支え合うことの大切さを教え支えてくれた同僚もいました。
移住を本気で考える転機となった「体の異変」
体力には自信のあった私でも、疲労が重なり通勤途中の電車の中で貧血で倒れてしまったり、ヘルペス(帯状疱疹)にかかるなど、仕事をしたくてもできない状況に陥ることがありました。無理をしすぎると身体は何らかの信号を出します。
体調が悪いまま仕事をすると業務のパフォーマンスが落ちてしまい、授業でも細かい観察や活動状況に合わせた内容の軌道修正などの判断ができません。このままでは仕事も不十分なまま、最悪命も落としかねないのではないかと考え、何とか生活を見直すべきだと思いました。そして、妻も本気で心配してくれて、一緒にこれからどうしたいのかを話すようになりました。
夫婦の対話で自分たちの現状やこれからについて深く考える
私たち夫婦は日頃から話すことが好きだったので、これまでの自分達のこととこれからについて話し合うことにしました。
・子どもに対して心の余裕を持って接することができているか
・自分の仕事に対して「こんなもんだ」とどこか諦めて嘘やごまかしをしていないか
・今の私たちは幸せなのか
娘が3歳になるまで、妻は週3日での勤務を選んでくれていましたが、それでもどこか仕事も子育てもやりたいけれどやり切れていない自分達がいました。住むところを変えるのが良いのか、仕事を変えるのが良いのか、はたまた学校を変えるのが良いのか、いろんなアイデアを夫婦で出し合い、自分たちが抱えている問題を解決するにはこれからどうすれば良いのかを何度も何度も話し合いました。
移住のきっかけは1冊の本との出会い
自分たちの納得のいく結論がなかなか出せない時に、妻の同僚がオランダに関して書かれた本を薦めてくれたのです。そこには、働き方や子育てに関して、日本とは全く違う考え方をもつオランダがどういう国なのかということが書かれていました。また、そのオランダがユニセフの報告では「世界一子どもが幸せな国」だと言われているのです。初めに心を掻き立てられたのは妻でした。何でも思い立ったら行動という妻は、オランダについてどんな国なのかを調べ始め、自分達が今後教育に携わっていくのであれば、オランダに渡りオランダを含め北欧の国の教育や社会を実際に見ておきたいと思ったようです。
最初は移住に反対した私
当初、移住については反対でした。その理由は、自分が日本語以外で話せないということと、子どもを育てる環境を大きく変えることに不安を感じていたからです。しかし、夫婦で何度も話し合い、自分が考えていることを整理していく中で、「今の自分が教育について抱いている疑問と向き合うために、日本とは違った教育や社会の中で生活すること、子どもに多様性を受け入れる力をつけてほしいから海外で生活すること、どちらも良い経験となる」という結論にたどりつきました。
移住する条件を2人で確認する
ただし海外へ移住した場合、子どもの言語や情緒面など保護者としてのサポートを継続的に行いつつ、新しい環境に適応できているかどうかを慎重に見極めて判断しなければなりません。それについて、1つのことを夫婦で約束しました。それは、「子どもがオランダの環境にどうしても馴染めないようであれば必ず帰国するという選択」を残しておくということです。これが私たちの合意形成(コンセンサス)です。
「海外移住」を自分なりにどう受け止めたか
日本での仕事については、何かを途中で止めるのは勇気のいることで、これまで取り組んできたことが無駄になるのではないかという気持ちもありました。むしろ教育の道を自分なりに一生懸命歩んできた結果として、たどり着いた答えが「海外生活での経験」なのであれば、また次の道に進んで何か新しいことに出会うのも良いことだと思ったのです。今はオランダに来て、オランダ人以外にもオランダ在住の日本人の方々も含め、いろんな国籍やルーツを持つ人々と出会い、自分のものの考え方が大きく広がっているように思います。文字では表せないオランダの空気を毎日感じながら、日々学んでいます。
海外移住に関しては、もちろんリスクを伴いますし、移住したこと全てが良かったかというとそうでもありません。ただ私自身、何事もポジティブに考えるところもあって、海外に来て良かったと思うこともたくさんあります。
これを読んでくださる方々の何かお役に立てるのなら、それは私にとって嬉しい限りです。今はまだ、あらゆることを学んでいる最中で、何かまとまったものが出来上がったわけではありませんが、この経験を、オランダにいながらもしくはいずれ帰国した時に日本の公教育や社会に役立てたいと思っています。
退職した今でも、以前勤めていた学校の卒業生や元同僚の先生方とも、お互いの情報を共有しながら意見交換を続けています。離れても気遣ってくれる人がいて、共に刺激し会える仲間がいることに感謝しています。これからもオランダにいる私が経験し、これからの自分のために必要なことを記録し続けようと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。