「信じるとは何か」を追求した『方舟を燃やす』からの学び[458]
角田光代さんの今年発売された小説『方舟を燃やす』を読み終えました。これは、私がIBDPの日本語Aのチューターとして授業に取り入れている作品です。現代を生きる私たちにとって、「自分が信じているもの」や「信じるとは何か」について深く考えさせられる話でした。また、この作品は昭和の1967年から始まり令和の2022年まで話が進むため、日本のここ数十年の変化を学ぶこともできます。時代の今回はこの作品に関する情報や授業の中で活用できそうなテーマをネタバレにならない程度でまとめていきます。
自分が「信じているもの」は何か
私たちは何かの物事を判断したり行動する時に、自分の中に信じているもの(信念)があります。むしろそれがないと不安な状態になり、何かにすがりつきたくなります。ただ、その一方で何かを強く信じすぎるが故に、現実的ではない行動を取ってしまったり、知らないうちに他の人を傷つけてしまうこともあるかもしれません。そういった、人間の根本にある「信じる」ということについて深掘りされた内容になっています。
日本の経済成長(高度経済成長やバブル景気など)について、社会が豊かになればそれだけ人も幸せになるという考えについても一石を投じています。登場人物同士の会話の中で、「心の豊かさ」に触れている場面などもあり、変化の激しい複雑な社会である令和を生きる私たちにも、自分にとっての幸せとは何かということの問題提起として取り上げることも可能です。
登場人物の信じていたものは何なのか
二人の主な登場人物である柳原飛馬と望月不三子には、それぞれ信じているものがあります。しかし、自分が信じていたものが本当だったのかというそれ自体が揺るがされる出来事を通して、自分たちが信じているものは何なのか、「信じる」ことと向き合うことになっていきます。とても読みやすく書かれた文章の中に、いくつもの登場人物や読者である私たちの考え方を揺すぶってくる出来事があり、作品を読み進めながら現実の社会を生きている感覚を味わうことができると思います。
生徒たちと行う文学分析では、主な二人の登場人物の「信じる」ことの変化などを具体的な出来事や修辞技法的な側面の含めて分析し、作品全体を通してテーマを深掘りしていきます。
タイトルから連想する「ノアの方舟」
神のお告げを信じたものが救われて、それ以外の人は愚かだから神の判断で命を落とすということについて、作品中の登場人物たちが自分の考えを述べています。それについては、生徒たちと自分の考えや作品中に出てくる考えに対してどう思うのかを一緒に考えていきたいと思います。