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授業が成立しない学校で何をしたのか? - 教員時代の記録【012】

 先日、2008年に出版された林壮一氏著『アメリカ下層教育現場』(光文社新書)を読みました。
 この本を読むにつれ、私自身の教員として経験したことをいろいろと思い出しました。大学を卒業し初めて勤めた高校で、授業を成立させることが難しく、教員という仕事に絶望を感じたり、自分なりに授業を成立させるために試行錯誤を繰り返したことをここに記録しておきたいと思います。

 私が初任校で勤めていた時のことを思い出したきっかけは、この本を読んだこと以外にもありました。私が高校の教員をしていた頃、教職大学院の学生の実習を何度か担当させてもらったことがあります。私が教科及びクラスにおいて2度の実習指導を担当した学生の1人が、現在は公立の中学校で働いていると聞き、昨年(2020年)の末にお互いの現状報告をしました。

 その先生が勤める学校では、授業中に教室から出て行ってしまう生徒や教員の話を聞けない生徒が多々いるようで、授業を成立させるのが難しいと感じているということでした。さらに、このことを相談できる相手はなかなか見当たらず孤独を感じていたようです。
 私も初めて赴任した高校では、自分がこれまでに受けてきた教育のイメージが一気に崩れ去るような経験をしました。教室から出て行く程ではありませんが、私語を止められなかったり、授業とは関係ないことをする生徒がいたり、生徒を注意したことによってその生徒と口論になるなど、授業をすることに苦しさを感じる時期もありました。

それからの私は、
「授業(あるいは教育)とは一体何のためにあるのか」
「勉強が嫌い、勉強なんかしたくないと思っている生徒達に自分ができることは何なのか」

についてひたすら考え続け、自分なりに答えを探しながら体当たりしていきました。今思えば、やっと自分の思うような授業展開ができるようになってきたのも5年目ぐらいからでした。しかし、その後も授業では毎回反省点や改善点は必ず出てきます。

 元実習生であったその先生は、私がこれまでに苦労した経験を知り、それが直接役に立ったかどうかは分かりませんが、自分と同じ経験をしている人が他にもいることが、何よりも安心材料になったのかもしれません。その先生自身の現状はまだ何も変わっていないとしても、2021年の3学期は気持ち新たに頑張ると意気込んでいました。私がその先生に伝えた自身の経験をここに記しておきたいと思います。

工業高校で学んだ「ものづくり」で社会を支えるという考え

 私が初任者として配属された高校は工業高校でした。その学校を卒業した後は就職して働く生徒が大半で、偏差値としての学力が比較的低い高校です。
 私は普通科高校の出身であったため、工業高校がどんな学校なのか全く知りませんでしたが、高校教諭として学校の就職指導に関わり企業の方々の話聞かせていただいているうちに、社会を支える「ものづくり」の素晴らしさに気づくことができました。普通科の勉強も大切ですが、実習系の学びは私たちの生活に直接関わり社会を支えるものであり、それらの学びが如何に大切かということを学ぶことができました。

 私の印象では、工業高校の生徒というのは、実習系の授業は好きでも教室で座って話を聞く普通科の授業はあまり好きではありません。卒業すると大半の生徒は就職するので、受験というモチベーションもありません(そもそも”受験だから勉強”という考え方にも疑問はありますが、、、)。
 受験というプレッシャーもない生徒達が社会科に興味を持ち楽しく学ぶには、自分の授業をするにあたっての力量が大いに試されるということなのです。
 また、知識だけに留まるのではなく卒業後すぐに社会に出る生徒達にとって、どんなことを授業の中で伝えていけば良いのだろうかと考える必要があります。赴任当初の私はそんなこともろくに考えず、現場経験もないだけに楽観的に考えていました。

「教育」は自分が経験したものだけではない

・先生の話を聞くのは当たり前
・板書をすると生徒は当然ノートに書く
・注意されたら素直に謝る

 学生時代は自分が受けてきた教育のイメージしかなく、学校によって違いがあるなんていうのは分かっているようで本当は分かっていませんでした。しかし、いざ現場で授業をしてみると驚くべきことがたくさん起こります。
 恥ずかしながら、私は当初どうして良いのか全く分かりませんでした。クラスによって差はあるものの、いざチャイムが鳴っても、生徒の方はお構いなしと言わんばかりに話を続け、教室の中で私の声は全体に行き渡りません。3年生に至っては2年生から同じクラスで進級するので、4月当初から騒がしく、自己紹介ですらもままならない状態です。そんな、授業に入れないようなクラスが半数ぐらいありました。

 私の授業計画では、社会科の勉強を好きになってもらおうと思い、「私たちの消費行動が環境問題に影響している」ことを知ってもらうためのグループワークをやろうと思っていました。しかし、始めるまでも指示がなかなか通りません。何とか全体説明を終えたとしても、いざ始めてみると自分の役割や班での話合いもそっちのけで自分の喋りたいことを話し続ける生徒ばかりでした。
 「グループワークは好きなことが話せるから好き」という間違った方向性で考える生徒もいました。また、一部の生徒が「そんなことやりたくない!」と言って、グループワーク自体を始められないクラスもありました。今思えば、全体への話し方や目線の配り方など授業を成立させるために必要な工夫が足りなかったのだと思います。
 ちなみ、こうなってしまった要因は私の力不足であるとしても、初任の先生と3年生の組み合わせはかなり悪いということが分かりました。私は力づくで授業を進めるタイプではなかったので、どうして良いのか分からず困り果てるしかなかったのです。

生徒は先生をよく見ている

 ただ、生徒の方も「この先生はどんな人なのかな?」という興味はあるようです。不甲斐ないですが、授業に関係ない世間話や自身の経験などであれば、生徒達は比較的興味を持って聞いてくれる時もありました、、、。
 また、校外学習(遠足)で3年生のクラスに付き添い教員として同行した時は、生徒達と楽しく関わりを持つこともできたので、生徒達に「授業というものがどういうものなのかというところから話す」ことも必要なのではないかと思うようになりました。
 「1対1のやりとりではあまり問題がないのに、授業となると上手くいかないのは何故なのか」を自分なりに考えました。まず生徒達が授業自体好きではないということと、教室内の閉鎖的な空間の中での圧倒的な人数差があることです。
 そして、この先生の授業ではどんなことをしたら怒られるのか、どこまでが許されるのかというのをよく観察しています。ただ、生徒の中には注意をすると逆ギレしたり、怒られたら不貞腐れて寝る、ということもあったので1人ひとりとの関係作りが何よりも大切だと思うようになりました。

「自分なりの試行錯誤」その① ”生徒1人ひとりを見る”

 私が気づいたことは、授業を進めるときに教科の内容にばかり気を取られていると、生徒は油断するということでした。授業を受けている生徒達の様子をよく見ながら心配な生徒がいたら声をかけつつ進めることが大切だと思いました。生徒1人ひとりが、自分は先生に見(守)られていると感じさせることが重要なのです。

 授業展開については、全体に向けて説明する時間は最小限に留め個々での作業や自主的に学ぶ時間を設けて、机間巡視をうまく活用しながらなるべく多くの生徒に個々で話しかけるようにしました。

「自分なりの試行錯誤」その②”「自分」という人間を見せる”

 教科担当として教科の内容を始める前に、「自分はどういう人間で、担当している科目を通して生徒達に何を学んでほしいか」を伝えることも重要だと分かりました。

「学びは、あなたが人生で困った時に助けてくれるもの」

 私自身は「学びは自分が見えている世界を広げてくれるもの」だと思っているのですが、少し現実的な言い方が良いかと思い上記のように伝えました。
 毎回授業の最初もいきなり内容に入るのではなく、小話などを入れて生徒をリラックスさせてから授業を始めました。また、生徒から聞かれたことは極力答えるようにしました。生徒からの質問を授業には関係ないからと全て跳ね除けてしうまうと、生徒の方もこちらの話を聞こうという気持ちがしないようです。
 ある程度は生徒の話を聞いて、授業の内容に活かせそうな内容であれば生徒の話を利用したり、関係ない話が続く場合は適当なところで切り替えるということが必要なのだと思います。

「自分なりの試行錯誤」その③”授業以外での「関わり」を持つ”

 私は、生徒1人ひとりとの関係ができないと授業全体のコントロールは難しいと感じていました。授業の時は大人しい様子でも、いざ1対1で話してみるとたくさん話してくれる生徒もいます。また、その逆で授業では騒がしいぐらいの生徒がいざ直接話すとかなり大人しいなんてこともあります。

 とにかく生徒達が日頃どんなことを考えているのかを知りたいと思っていたので、授業以外で生徒と話すきっかけがあれば積極的に話しかけて関わりを持つようにしていました。前述の通り、私は強行的な態度で生徒に接することは苦手で、むしろ生徒の話を聞くのがとても好きなので、時にはツッコミを入れて笑いを誘ったりして、この先生は安心できる人だと思ってもらえる関係づくりに徹していました。

 「ただ授業は静かに先生の言うことさえ聞いていれば良い」と言うのではなく、私は何か感じたことや考えたことがあればその時に発言して良いという雰囲気で授業をしたかったのです。ただ、いけないことをした時は毅然とした態度で注意するようにしました。
 そういったメリハリを自分で作れるようになると、生徒達は素直に授業に参加している方が楽しいと思えるようになってきたのだと思います。これに関しても、注意しそびれたり授業のコントロールが少し上手くいかなかったこともあるので、毎回反省するところもありました。

教員として働き初めた頃の記憶”授業準備の時間はかなり限られていた”

 ただ問題は、生徒1人ひとりを見られるような授業計画をいつ作るのかということです。ただ生徒の前で話して板書を写させるだけであれば、各クラスによるパターンの違いを考える必要もないのでそれなりに準備ができると思います。
 しかし、単元の内容を見てポイントを絞り、最初と最後の全体説明はどんな内容にするのか、途中の個々のワークはどんなことをさせるのか、授業準備は「教科に関する勉強」もさることながら「授業展開」についても考える必要があります。

 勤務時間中は、授業や会議、分掌業務など様々な業務を処理しなければなりません。中でも、私が勤め始めた頃に最も大変だったのは「部活動の付き添い」です。
 部活動は、自分が学生時代にしていた陸上競技部の顧問になりました。赴任当初は自分が陸上競技の経験で得たものや生徒の人間的な成長を支えたいと思ったので、気合いを入れて部活動の指導に臨みました。部活動というのは、実際に生徒達の成長にとって大変意義のあることです。
 だからこそ中途半端は指導はできません。新しい練習方法や怪我をしない体作りを取り入れる勉強をしたり、いざ練習を見るとなるとかなりの時間を部活動に割くことになります。

学習指導と部活動指導のバランス

 私が初任だった頃の1日の過ごし方を記すと、朝練は午前7時からスタート(4時45分起き、5時30分の電車に乗る)します。そして、放課後の練習は午後6時半ぐらいまで続きます。そして、その後帰宅すると20時ぐらいです。先程述べた授業準備をする時間がほとんどと言っていいほどありません。高校教諭は空きコマがいくつかあります。ただし、分掌業務や当番、部活動の試合のエントリーなどがあるので、授業準備に時間を割くのはかなり困難です。

 授業や部活動でクタクタになって家に帰り、そこから教材研究と授業展開の準備をするというのはかなりハードでした。学習指導とスポーツの指導を両方、その道のプロとして指導することは不可能です。
 若いからこそ何とかできたことかも知れませんが、当時は友人や家族との時間もあまり持てず自分の社会に対する視野が狭くなっていた様に思います。
 キャパオーバーな状態で働き続け、生徒が目の前だからこそどれも手を抜けないのも事実です。教員経験を積んでいくことで、教材準備の時間や分掌業務、部活動などの仕事のバランスも取れるようになってくるのですが、それでも次から次にやってくる業務に必死でした。

父親としての自分でありたい

 独身あるいは夫婦のみの時はそれなりに手間と時間を仕事に費やすことができましたが、それでも土日の部活動の付き添いなどは私にとってはハードでした。文字通り休日もずっと学校の仕事に携わっている時は、「教員である自分」以外のアイデンティティを失っていたと思います。それでもやりがいのある仕事だと思って、土日も休日の練習や試合の付き添いなどに時間を費やして家に帰ってからも教材研究などを続けてきました。

 そして、とうとう子どもが産まれたときに周囲の先生方からアドバイスなどももらいながら考えを変えていかないといけない思ったのです。このままでは、教員である前に「父親である私」でいられません。そして、私は現状を打破するために「部活動内の業務分担」を実行することにしました。具体的に言うと、平日練習の付き添い、試合のエントリーなどの事務作業、休日の試合の付き添い、を複数の教員で分けるということです。

 子どもが産まれたばかりの頃は、「すぐに子どもに会いにいきたい」という気持ちの他に、妻も産後で体調が万全とは言えないので、なるべく家庭中心に時間を費やしたいと思っていました。仕事をしなければならない時は仕方ありませんが、なるべく家族を優先して、家事や子どもの世話など家のことでできることは私もやる必要があります。帰れる時に帰り、休める時に休む生活をしました。するととても心が穏やかになり、むしろ仕事のパフォーマンスも上がったのです。具体的には、授業の進め方のアイデアが出てきたり、分掌業務などもスムーズに取り組むことができるようになりました。

 全てを仕事に注ぐことは仕事のクオリティも落としかねないと言うことです。決まったことだけやり続けるというのは、いつしか自分自身の思考の幅も狭めてしまいます。自分自身を大切にすることで、仕事のモチベーションも向上しました。その時に助けてくれた先生方への感謝は今でも忘れられません。

オランダに来て改めて気付くこと

 人の生き方にはいろんな生き方の選択があります。大切なのはお互いが自分らしく生きられるかどうかが人生の幸福につながるのであって、その幸福が子どもに受け継がれていくのだと、オランダに来てから少し理解できるようになりました。そのお互いの幸せをまもるために必要なものの 1 つが、「対話」なのだと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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