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父親日記 - 子どもが9歳の誕生日を迎えて[416]

 先日、子どもが9歳の誕生日を迎えました。その時に感じたことをここに記録しておきたいと思います。

節目に思い出す出産時の思い出

 9年前の今日、僕は出産に立ち会う気満々でしたが、逆子だった娘の安全も考えて帝王切開をする決断をしたので立ち会うことはできず。逆子でへその緒を首に巻いた娘は、母の心臓の音がとても好きなのかずっとそのままで、ギリギリの判断すべき日まで待ちましたが、ずっと変わらないままでした。笑
 約10ヶ月間、大きな問題もなく出産まで来ることができましたが、それまでに文字通り「身体を張って」大切な命を守り続け、産んでくれた妻に感謝しています。出産は身体が男である私は決してできないことで、悪阻がひどかったり、お腹が大きくなってきて寝る体勢が難しかったりするのは今でも思い出されます。本当に感謝しかありません。

友達から祝福される子ども

 オランダでは、自分の誕生日にはクラスメイトや先生にちょっとしたプレゼントを配ります。今年は、カップケーキと手作りのしおりを入れてみんなに渡しました。そして誕生日と同じ日に、娘はプレゼンテーションの本番もあり、なかなかハードなだったと思います。笑

 学校に着くとすぐに仲良しのお友達にハグされて、「荷物を持ってあげるよー」とか「おめでとう!」と祝われる姿を見て、とても温かい気持ちになりました。これは私の子どもに限らず、オランダの子どもたちの間でよく見る光景です。見ている私たちをとても温かい気持ちにさせてくれます。

日々成長する子ども

 9年間ここまで大きな怪我や病気もなく、今は大好きな友達に囲まれてオランダでの学校生活もエンジョイしています。
 娘はとにかく本が好きで何か隙間の時間があれば本を読んでいます。オリジナル漫画をたくさん書いて、部屋の至る所に脱ぎっぱなしの服と書きかけの鉛筆があり、ミニチュアを集めるのが大好きで、ぬいぐるみが大好きで、ケンカするのが嫌いで、拗ねてもすぐに笑ってしまい、解けない問題があると涙が出てきて、困っている人を放って置けなくて、お友達と遊ぶのが大好きな娘。

 親として9年間いろんな貴重な経験をさせてくれています。時に親としていることの責任とか大変さみたいなのを感じることありますが、子どもという存在はこんなにも愛おしいもので、いろんな人からたくさん愛されて育つんだとつくづく感じます。

時に哲学的な問いを発する子ども

 先日、学校に送っていく道中で「他のお友達が私の名前を呼ぶから『私』っていうのが分かる」という悟りのような言葉を聞いて、彼女の哲学的な考えにひどく感動した日がありました。笑
 年齢が上がるにしたがって、考えることも次第に高度かつ広範囲になってきて、だんだんと自分を客観的に見られる年齢になってきたようです。

 その発言を聞いた私は、子育ては親だけの関わりには限界があって、子どもから大人までいろんな人との関わりの中で育っていくことが本当に大切だと感じました。家庭と学校以外で出会う同じ年齢ぐらいの子やいろんな大人との出会いで、「何かについて勝手に決めつける」狭い価値観から解放され、自分以外のいろんな世界があるんだとも感じているようです。

最後に自分のこと

 娘がいろんな子どもや大人と関わる様子を見て、私も仕事で関わる子どもたちが少しでも人生の視野を広げられるような関わりをしたいと思うようになりました。
 私は継承語としての日本語、世界史、生物や化学や数学などいろんな科目を幅広い年齢層に教えています。しかし、どの科目であろうと、学ぶことでその子の物事の捉え方が変化したり、新しい考え方が身について少しでも「自分にとっての幸せは何か」ということを考えられる材料を提供できたら良いなという気持ちでこれからも関わっていきたいと思います。

 今の複雑な世界で生きていると幸せなことばかりではなく、人が命を落とす事件や戦争が起こったり、傷つく言葉やショックな出来事に落ち込んだりすることもあるかもしれません。
 しかし、少しずついろんな人から愛をもらうことでそんな時でも強く生きていけると思います。私もその1つの力添えができるように今自分がやっていること、自分にできることを大切にしていきたいと思います。

 以上、朝に娘を学校に送っていき、友達から祝福される姿を見て幸せな気持ちでお気に入りのカフェに入り、読書の合間に娘が作ってくれたしおりを見て感じたことでした。6月からは新しい講座も始まるので、また少し忙しくなりますが、初心を忘れずにレッスンをしていきます。

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